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Tuesday, September 22, 2020

『風に舞いあがるビニールシート』森絵都(書評)

【9月22日 記】 森絵都はずっと読んでみたかった作家なのだが、ずっとそのチャンスがなかった。何故なら僕が彼女を知ったのは僕が電子書籍でしか本を読まなくなって以後のことで、それに対して、彼女の小説は長らく電子化されていなかったからだ。

それがここへ来て一気に Kindle版が出てきた。とりあえず直木賞を受賞したこの作品を読んでみたのだが、読んでみて驚いた。めちゃくちゃ巧い作家である。

めちゃくちゃ巧い作家というのは、僕が作家を語るときのほぼ最大の賛辞だと思ってもらって良い。もっとも、巧くない作家なんてものは単なる形容矛盾だと思ってもいるが(笑)

何よりも驚くのは、ここに編まれている6つの短編の構成やトーンがそれぞれ相当にかけ離れていることだ。どの作家にも得意な分野というものがあるはずなのだが、この人のこのテーマや設定の広がりは何なんだろう?

「器を探して」は読んでいてめちゃくちゃ怖かった。

自分の雇い主であるパティシエ・ヒロミの気紛れと意地の悪さに振り回される主人公の弥生。その一方で、そんな彼女を優しく庇ってくれていた恋人の高典が「僕かあの女か、どちらかを選んでくれ」と言い出して、自らの俗物性と時代遅れの考え方を露呈する。

弥生はどんどん追い込まれる。ヒロミのケーキに相応しい器を早く見つけて東京に戻らなければならないし、メールも電話もずっと無視してしまったので、東京でイライラしている高典にも連絡をしなければならない。

──どっちに進んでもうんざりするほど地獄な感じ。しかし、そこからの展開は見事で、この怖い小説の最後になって一条の光が射すのである。

元々児童文学を書いていた人だと聞いていたので、ひょっとして構成が単純すぎたり文章が不必要に平易だったりしたら嫌だなあと思って読み始めたのだが、なんのなんの、これは大人にしか書けない大人の文章だ。

そうか、彼女は大人の視点で書いていたから多分卓越した児童文学が書けたのだろう──などと、今まで1冊も読んだことがないくせについついそんな風に想像してしまう(笑)

他の5編については、もうあまり詳しく書かないが、設定だけざっと書いておこう。

「犬の散歩」は捨て犬の里親探しのボランティアをしていて、その費用を稼ぐために夜のバイトをしている主婦の話。え、犬のために水商売で働くなんて夫も、近くに住んでいる夫の両親も何も言わないのか?と思いながら読み始めるのだが、終わりにはそれが納得できる良い話だ。

「守護神」は仕事をしながら夜間の大学に通っている主人公が、結局レポートを書く時間がなくなって、学内で守護神と呼ばれている8年生の女性に代筆を頼む話。まずはそんな女性が本当に存在するのかというミステリっぽいところから小説は始まる。

「鐘の音」はかつて仏像修復師だった男が、事実上自分を追い出した師匠の仕事場を何十年ぶりかで訪ねる。師匠亡き後引き継いだ同僚と再会し、そこで当時は知らなかったことや気づかなかったことを知る。師匠に対する憎しみと自分に対する痛恨の思いが交錯する。

「ジェネレーションX」は雑誌の中年編集者が、その雑誌に広告を出した会社の 20代の営業マンと2人で、苦情を言ってきた読者に謝罪に行く話。最初は「なんだこいつは」と思っていたのに、車中で話しているうちに次第に通じ合うものが出てくる。

そして最後が表題作の「風に舞い上がるビニールシート」。国連難民高等弁務官事務所で働く日本人女性が同僚のアフリカ系の男性と結婚するが、たまに日本に帰還しても1週間ほどでまた危険な地域に行ってしまう彼と次第に心がすれ違いになり、離婚するのだが、しばらくして彼が海外で命を落とす話。

どうだろう、この6編を並べてみて。このバリエーションの幅は一体何だろう?と不思議に思わないだろうか。

国連難民高等弁務官事務所の話なんて、相当取材しないと書けないはずだ。そして、相当取材してその話を書こうと、一体どの作家が考えるだろう? この意志がすごいと思う。

そして、日常にふやけた頭では考えるだけでも難しい難民やテロの問題と、誰もがあわよくば知らないふりでやりすごそうとする仕事と結婚の相克を、こんなにも分かりやすい形で描く能力って一体何だろう?

どの話も僕らが日常生活で忘れかけている何かに気づかせてくれる。それは自分のことであったり他人のことであったりする。ああ、生きるってこういうことなんだなあと kindle を閉じてふと考える。

余韻はすこぶる深い。そして、僕ら各人の読者の思いはそこから無制限に、四方八方に広がって行くはずだ。

これはものを思い、ものを考えさせる作品であり、さらに読んだ後も、その思いや考えを深めて行く助けとなる作品である。

そういう意味で言うと、kindle版のあとがきで書評家と称する女性が書いている「解説」を読んで非常にげっそりした。こんな図式的な理解をする人がいるのはまあ良いとしても、その人に解説なんぞされてはたまらない。これは浅薄の最たる文章ではないだろうか。

気を取り直すために、この本に引き続いて Amazon で『みかづき』をポチッとした(笑)

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