聴き分ける耳の機能
【8月26日 記】 石川啄木も「ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」と歌っているが、確かに生まれ育った土地の言葉を聞くとほっとすることがある。
僕の場合は最初の転勤からかなりの期間、東京に、と言うか、東京での仕事に馴染めなくて精神的に結構キツイ日が続いたので、とりわけそうだったのかもしれない。
電車の中でふと大阪弁を耳にすると、「あ、関西人がおる!」とびくんっと反応した。そして、少しほっこりした。
そのうちに東京での暮らしが嫌ではなくなって、結局生涯で5回転勤して大阪と東京の間を2往復半した。東京に行くのも大阪に行くのも「~に帰る」と言うようになった。
そして、大阪本社と東京支社の間を何度も出張で行き来しているうちに、ほんとうに自分が今どこにいるのか分からなくなる瞬間が出てきた。
「あ、エスカレータの左側が空いているということは、自分は今関西にいるのか」などと突然気づいたりする。街なかで大阪弁を耳にして「お、関西人がおる!」と思ってしまってから、自分が今関西に住んでいることに気づいたりする。そんな変な感じになってきた。
もう、東京が嫌なわけでも嫌いなわけでもないので、大阪弁を耳にして救われるというようなことはないのだが、それでも僕の耳は依然として大阪弁のイントネーションを鋭敏に聴き分けるのである。
今日も歩いていて、すれ違いざまに大阪弁を捕まえた。若い男性2人のうちのひとりが「昨日(きのう)」と言っていたのだ。「き」が高いイントネーションは紛れもない関西人である。
と、思っていたら、その男が先ほど自分が言った「昨日」を言い換えるのが続いて耳に飛び込んできた。
プラスティックじゃなくて、昨日
いや、そうじゃない。これは
プラスティックじゃなくて、木の
なのだ、きっと。関西人ではないのだ、多分。
僕の関西弁聴き分け機能も少し落ちてきたのかもしれない(笑)
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