『辞書を編む』飯間浩明(書評)
【8月25日 記】 ある日 twitter 上に、言葉についていろいろ面白いことをつぶやいている人を見つけてフォローした。それが飯間浩明さんだった。そして、辞書の編纂者であるその人が、まさに辞書の編纂作業について書いている本があると知ってダウンロードしたのがこの書である。
もうちょっと新しい本かと思って読み始めたのだが、実は 2013年末に発売された三省堂国語辞典(三国)の第7版の編纂過程について書かれ、辞書より早く 2013年の 4月にに出版され、6月に電子書籍化された本だった。
タイトルは、ご本人が「おわりに」に書いておられるように、と言うか、そんなあとがきを読むまでもなく明らかに、辞書編纂を題材にした三浦しをんの小説『舟を編む』を踏まえている。そういうことが一瞬にして分かる(もちろん『舟を編む』は読んでいる)“言葉好き”の人こそが喜んで手にする本だろう。
何を隠そう僕がそういう人だ。
読み始めて間もないところに「小人数」という表現が出てきて、わざわざ「こにんずう」とルビが振ってある。僕はこういうところに反応してしまう。確かに僕の父母や祖父母は「こにんずう」と言っていたように思う。
しかし、現在の僕はもっぱら「しょうにんずう」と言っている。しかし、そこで「しょうにんずう」は「少人数」なのだと気がつく。現代の日本語では「少人数」が幅を利かせて、「小人数」は廃れつつあるのだ。そんなことをふと考える。
もう少し読み進むと「微に入り細を穿った」という表現が出てくる。これは僕も同じ表現を使う。しかし、世間の人の多くは「微に入り細に入り」という乱れた表現を使う。「微」と「細」、「入る」と「穿つ」が対になっているのに、後半が両方とも「入る」になるとせっかくのカッコいい表現が台無しだなとずっと思ってきた。
などと、読みながらときどき本題から外れて、いろんな言葉について考えてしまう。
外れるのは文章が面白いからであって、書いてあることが退屈だからではない。大変なんだろうとなんとなく思ってはいたが、辞書編纂の実務と手順をこうやって見せてもらうと、さすがにその膨大な作業量に圧倒され、それをこなして行く飯間さんに感心する。
しかし、そんな大変な作業を積み重ねながらも著者は、
調べたことを全部書いてやろうとして、ごてごてした語釈になっては、利用者にとって迷惑なだけです。
ときっぱり割り切っている。この辺の態度は立派だなと思う。辞書という実用品を作っているのであって、決して言葉ヲタクではないのだ。
どの言葉を辞書に載せるかという点についても、
『三国』が項目を立てたということは、この言い方が、今生きて使われていることばであることを意味します。
と清々しい矜持が感じられる。
僕は今では紙の辞書はほとんど使わなくなって、もっぱら電子版のアプリを使っている。僕の iPhone には数え方にもよるが5つか6つの辞書が入っている。その中では同じ三省堂から出ている新明解国語辞典をとりわけ愛用しているが、この本を読んでいると、この三国も使ってみたくなった。
一度も引いたことはないが、これは絶対に良い辞書のはずである。
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