人混みの効用
【8月16日 記】「人混みは苦手だ」と言う人がよくいます。私にはあれが今イチ分かりません。
もちろん私も満員電車は嫌です。それは体と体の物理的な接触、と言うか、むしろ圧迫があるからです。でも、それがなければ、つまり、体と体が密着したり、間近に体臭を感じたりするほどでなければ、電車に大勢乗っていても別になんとも思いません。
あるいは、渋谷のスクランブル交差点みたいな人混みだと、(まあ、コロナ禍の今は人が減っているのでそれほどでもないでしょうが、少し前までの状況を考えると)確かに歩きにくいなとは思います。でも、それだけです。
都会には人が大勢います。街に出れば、当然そんな大勢の人たちとすれ違い、行き来することになります。でも、その人たちはほぼ全員が、私の知り合いでもなんでもなく、私とは何ら関わりのない人たちです。
そんな人たちであるなら、それがたくさんいようと少ししかいなかろうと、そんなに違いは感じません。体の接触がない程度の人混みは、私にとっては言わば強い風のようなものです。
少年時代、私は自意識の怪物でした。失敗して笑われたらどうしよう、こんなことして馬鹿にされないか、鬱陶しく思われないか、反感を買わないか──始終そんなことばかりを考えていて、自意識過剰で全く身動きができなくなり、そのことによって人との関わりを避けていました。
ところがある日ひょんなことから、他人は誰も私のことなんか気にかけていないし興味もないし、そもそも私がやることを見ていないし注意を払ってもいないということに気づいたのです。
そこから先、一気に人生が楽なものになりました。
都会ですれ違う大勢の人たちは、そんな「私がやることを見ていないし注意を払ってもいない」人たちです。だから、そういう人がいくらいても私は気になりません。むしろ、そういう人たちがたくさんいてくれたほうが、私はなんとなく安心できる気がします。
もしも人混みの中の少なからぬ人たちが私の知り合いで、あるいは何らかの事情で私の行動に注意を払っており、私の一挙手一投足に対して私に注文をつけてくるのであれば、とてもじゃないけれど私はそんなところでは暮らして行けません。
たとえ人口密度が低くても、そこにいる人たちが私にとやかく言う人たちであるなら、私にとってそこは息が詰まる、きわめて居心地の悪い土地です。
でも、みんな知らん顔をして通り過ぎて行く都会は、私にとって快適そのものです。肉体的接触でケガをするほどでなければ、人が多いほうがいろんな意味で安全です。人が溢れるアスファルトより、人がいない田舎道のほうが、私は怖いです。
しかも、たくさんいる人たちはとりたてて私に関心がないのだから、こんなに自由な空間はないと私は思います。だから、私は都会が好きです。ずっと都会で生きて行きたいと思っています。
こんなことを書くと怒られるかもしれませんが、コロナ禍で人が減って、人混みはちょうど良い感じになっている気がします。
「人混みは苦手だ」と言う人がよくいます。私にはあれが今イチ分かりません。
Comments
人混みが苦手だ、というコメントを初めて聞いたのだ大学時代。九州から関西に来ていた友人でした。うーん、日常生活ではあまり聞いたことがない。
Posted by: HIKOMAL | Sunday, August 16, 2020 20:57
特殊な感覚の人は別として、人の少ない田舎だと自意識が…というか監視の目が都会よりも強いので、その意識のまま都会に出てきてあの人混みを見ると圧迫感を受けるというのが、「人混みは苦手」の正体でしょう。
感覚的にはあなたの幼少時代と近い、「周囲を気にするからこそ避けたくなる」というものだと思います。今は慣れたから気にしなくなっただけで。
Posted by: | Friday, August 21, 2020 14:08
> 名無しさん
そうなんでしょうね。僕もそう思います。何の異存もありません。
Posted by: yama_eigh | Friday, August 21, 2020 18:13