『嫌われモノの<広告>は再生するか?』境治(書評)
【7月29日 記】 境治氏の本は何冊か読んでいて、その都度書評を書いているが、その際にいつも書き添えているように、僕は境氏とは直接の知り合いである。最近はもっぱらリモートだが、以前は月に何度かはリアルで顔を合わせていた。
僕はまさにこの本で扱われるような領域で仕事をしており、境氏が主催するミライテレビ推進会議の、今となってはやや古株のメンバーでもあり、そういうわけで最低でも月に1回は境氏と接点がある。
会って直接雑談することもあれば、境氏が登壇するセミナーを聴きに行くこともあるし、逆に講演/登壇の依頼をしたこともある。
そういうわけで、僕がこの本を読んで、「へえ、そうなのか。知らなかった」ということは全くない、とまでは言わないが、ほとんど、多分全体の5%もない。
それは業務を通じて基礎知識があるというだけではなく、普段から境氏の話を聴き、境氏がネット上に発表した文章も読み、その上 twitter でも facebook でも繋がっているので、彼の考え方の基礎的な部分はこの本を読む前から知っていたからである。
ただ、これを読んで思ったのは、「へえ、境さん、そんな人のところまで取材に行ったのか」ということ。
やっぱり本を書くとなると、何となく解っているつもりのことでも改めてしっかりと取材をする必要があり、そういう意味で、この本はしっかりとやるべきことをやって書かれたものだということが分かる。
さて、この本はまずネットメディアの広告に的を絞って書き起こされている。CHAPTER1 で取り上げられるのが「ネット広告の闇」である。だが、言うまでもなく「だからインターネットの広告なんてダメだよ」という本ではない。
そもそもこの本の副題は『健全化するネット広告、「量」から「質」への大転換』であり(つまり“健全化”が論点のゴールだ)、加えてこの人はそもそも広告を出自とする人なのだ。だから、広告に対する“思い”があるのだ。
続いて CHAPTER2 ではネット広告のブラックボックスの内部に光を当て、CHAPTER3 でハードルを越えるための解決策を探り、CHAPTER4 で既に問題解決に取り組み始めた関係者や組織の動きを追い、CHAPTER5 では初めてテレビCM に焦点を当て、CHAPTER5 では広告全体の未来についてまとめている。
この本は単に現況のまとめではない。そこにはしっかりした分析があり、ある種のビジョンも示されている。
例えば、そこで示されている「あるべき広告」のひとつが(あくまでひとつの例だが)ネイティブ広告、あるいはスポンサード・コンテンツなのである。「何それ?」と言う人はこの本を読むか、あるいは安易にネット検索で調べてみてほしい。
要するにこの人は常に(これはこの本の中に出てくる表現ではなく、僕がこれを読んでいて思ったことなのだが) content oriented なのである。それはとても素敵な思想だと僕は思う。
いや、ちょっと、褒めすぎた(笑)
ときどき九州男児らしく喧嘩っ早かったり頑固だったりするところもあって、「そんな奴、放っておけば良いのに」と思う相手とネット上で激闘していたりする姿もたまに見かけるが、根は気さくでフェアで、熱心なおっさんである。
ご本人の弁によるとこの本は「ネットのことよくわかんない人には好評」とのことである。あなたがネットの広告のことをよく知らなくて、でも興味があるのなら、最適の本かもしれない。
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