映画『のぼる小寺さん』
【7月11日 記】 映画『のぼる小寺さん』を観てきた。
古厩智之監督には嵌っていた時期があって、初めて観た『さよならみどりちゃん』(2005年)から、『奈緒子』(2008年)、『ホームレス中学生』(2008年)、『武士道シックスティーン』(2010年)まで4作連続で観た。
何本も続けて観るというのは毎回満足度が高かった証である。テレビでは古厩監督が3話を演出した『MM9』も面白かった。これは全く評判にならなかった深夜ドラマで、僕の周りには実際に見てボロカスに酷評した人もいたが、僕は大好きで、これにも結構嵌った。
ところが、それ以来全く観ていない。決してその時点で見限ったというわけではなく、多分毎回の興行成績があまり芳しくなかったのだろう、古厩作品の上映規模が小さくなってしまって、気がついたら見逃してしまっていたのである。
というわけで、今作は10年ぶりの古厩作品鑑賞ということになるのだが、いやあ、やっぱり良い!
小寺さん(工藤遥)は人生ボルダリング一筋の女子高生である。もう、この表現だけでおかしいでしょ? とにかく進路志望の欄にも「クライマー」と書いてしまうのである。いろんな面で、劇中の台詞にもあったように“不思議ちゃん”なのである。
でも、みんなが彼女が壁を登る姿を見て釘付けになる。
小寺さんと同じ中学出身の四条(鈴木仁)は、中学時代はキモいと言われて仲間外れになっていたが、そんな中で自分に声をかけてくれたのは小寺さんだけだった。彼女への思いは一方通行に終わるのだが、のぼる小寺さんを見ていると居ても立ってもいられなくて、自分もクライミング部に入部する。
近藤(伊藤健太郎)は中学時代は斜に構えていたのであまり友だちはいなかった。高校で卓球部に入ったのは、親に運動部に入れと言われて、一番楽そうなところを選んだだけだった。
ところが、同じ体育館の中での練習中、逸れた球をクライミング部の練習場の前まで拾いに行っては小寺さんの姿に釘付けになってしまう。そして、いつの間にか自分も卓球に、小寺さんと同じように打ち込んでいるのに気づく。
倉田(吉川愛)は学校も勉強も嫌いで、ほとんど登校せず、年上の男友だちと遊んだり、ネイルを着飾ったりして過ごしている。それが小寺さんと初めて喋ったのがきっかけで、小寺さんが手を豆だらけにして岩を登っているのを知り、そこから彼女も少しずつ変わって行く。
田崎(小野花梨)は写真が趣味。最初は蝶々の写真などを撮っていたが、やっぱりのぼる小寺さんに魅せられて、ストーカーみたいに彼女の写真を撮りまくる。
4人が4人とも、何だかわからないけれどのぼる小寺さんに強烈に惹きつけられて、そのことによって自分を見つけだし、新たな自分を築いて行くのであった。
──と、まあ、こんな風に観た後で話をまとめるのは簡単だが、何もないところからこういうストーリーを生み出すのは大変なことだ。原作は漫画らしいが、こんなにあまり何も起こらない筋で物語を運ぼうとするのは大変勇気のいることだ。それを映像化するのはなおさら大変だ。
終盤で四条が近藤に同意を求めて言う。
小寺さんがのぼるとこ見てると、何だか、自分ものぼらなきゃ、って思うよね?
そう、この台詞が映画をひと言でまとめてしまっている。とても良い話なのである。涙こそ流さなかったが、終盤で何度か胸が熱くなった。
いや、冒頭からして、学校の中での生徒たちの所謂“ガヤ”が、本当に校舎の中にいるみたいな、本当に青春の真っ只中にいるみたいな、リアリティのある青春描写なのだ。こんな映画が撮れるのは一流監督の証だと思う。
吉田玲子の脚本が巧い。ときどきカットを割らずに長い芝居をさせる、いつもの古厩演出も冴えていた。そして、一人ひとりの役者も非常に良かった。とりわけ小野花梨が素晴らしかった。古厩監督は言っている。
小野花梨さんはかわいかった。ひとりのときでも踊るように楽しいお芝居をする。
小寺さんが着ているTシャツのデザインが毎回ちょっとおかしかったり、学園祭で“動物カフェ”をやって、みんな猿や豚に扮しているのに何故か近藤だけカッパだったりするちょっとした遊びも面白かった。
印象深い、とても良い作品だった。
Comments