『SNS変遷史 「いいね!」でつながる社会のゆくえ』天野彬(書評)
【5月4日 記】 奥律哉、美和晃、森下真理子、天野彬の各氏が登壇したセミナーを聴講したら、お土産にこの本がついてきた。買って読もうかと思っていたのでちょうど良かった。
ちなみに僕はこの4氏を勝手に「電通メディアイノベーションラボの四天王」と呼んでいる。もちろん勝手に呼んでいるのであって、MIL の4トップではないとは思うが(笑)
僕は奥氏とはリアルの交流がある。美和氏と森下氏については何度か講演を聴講しているが、名刺交換したかどうかは定かでない。天野氏とは随分前に名刺交換をしていて、最近では twitter でも交流がある。
僕は天野氏については、まとめるのがとても上手な人という認識をしている。そして、「ググるからタグるへ」と言ったネーミングが非常に巧みな人だ。
この本は学術書ではなく、一般の人が読みやすいように書かれてはいるが、内容としては学術書と全く遜色がないと思う。単に歴史を追っているのではなく、それを常に分析的に展開しているからだ。
そして、その論に説得力があるのは、学者のひたすら観察的な机上の空論めいたものではなく、彼自身が「元若者」として、ブログや twitter などに大いに親しみながら成人し、そのままシームレスに研究の生活に入っているということ、そして、フィールドワークを通じて今の若者(を中心とするユーザ)の生の声を常に聞いているからだと思う。
パソコン通信、メルマガ、2ちゃんねる辺りから説き起こして、ブログ、twitter、facebook、YouTube から Instagram、TikTok、そして AR と、今挙げなかったものも含めて、見事に網羅的に、もれなく、そして有機的に分析が加えられる。
あまりそういうことを意識せずにそういうものを使ってきた人には、なるほどと思うことも多いのではないだろうか。
ただ、僕のように割合近い業界にいて、普段からそういうテーマを考える人間にとっては、既に知っていることの整理という面が強くなって、正直それほど面白くはない。面白くはないが、書いてあることは適切で、あまり異論がない。
異論があるとすれば、僕が大きなショックを受けた ティム・オライリーの Web2.0 の扱いがやけに軽いことと、「課金」ということばの使い方が今様の若者たちと同じく、我々年寄りからすれば明らかに間違っていることだ(笑)
月額で数千円、あるいはもっと課金しているユーザーもいるだろう。
などという表現が、一橋と東大を出た人の筆から出てくることが信じられない気がする(笑)
ま、それは置いといて、「それほど面白くない」のは第4章までであり、第5章になると俄然面白くなる。この章は「SNS のゆくえ」と題して未来を語っている章で、必然的に筆者の理想や「べき」論が混じってくる。それが出てこないと文章というものは面白くないのだ。
そこではリブラや日本人論や裏アカや平野啓一郎が一緒くたに論じられており、極めて示唆に富んだスリリングなものになっている。
何よりも驚いたのが、僕がつい先日読み終わった宇野常寛の『遅いインターネット』が引き合いに出されていることだ。そう、ここでも議論は遅いインターネット論に繋がるのである。そこには筆者の見ているイデアが現れている。
筆者は「おわりに」に書いている:
SNSの話題になると、それを使う若年層ユーザーのマインドに過度にフォーカスした見方や考察が流布し、「よくわからないもの」とされてしまうきらいがあるが、ユーザーの情報行動は、ユーザーの気持ちだけで決定されるわけではない。そのサービス・プラットフォームの仕組みや環境権力性も視野に入れたアーキテクチャとの関わり合いの中で分析しなければならない。この視座は非常に重要だ。
単に SNS の歴史をなぞりたいのであれば、この「おわりに」だけを読めば充分である。だが、それだけでは上記の文章の意味は解らないだろう。ここにこの文章を書くまでに費やされた膨大な考察に敬意を表したい。
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