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Tuesday, March 31, 2020

志村けんさんと僕

【3月31日 記】 志村けんが亡くなった。もちろんお会いしたことはない。

でも、それで思い出した。僕は昔、志村けんが好きではなかった。いや、亡くなった人のことを悪く書こうというのではない。ただ事実として、僕は志村けんが気に食わなかった。

そのひとつはメンバーの荒井注を追い出して新しくドリフターズのメンバーに加わったような印象があったからだ。とは言え、僕はこのメンバー交代の裏事情を知らないし、恐らくは荒井注が辞めたほうが先で、志村けんがその後に補充されたのだろう。

それでも僕は荒井注がこの先どうやって食って行くのだろうかということがなんだかとても心配になって、その延長上で志村けんが気に食わなかった。

僕はそんな少年だった。

それから、志村けんが(一応ギター担当ということにはなっていたが)ろくに楽器が弾けなかったのが気に食わなかった。ドリフターズと言えば、ビートルズが来日公演をやったときの前座を務めたほどの由緒と実力のあるバンドで、個々のメンバーも却々上手いプレイヤーだった(と言っても、これも後から聞いた話なのだが)。

そこに音楽の素養の1ランク劣る志村が入ってきたことに僕は抵抗感を覚えた。これはある意味、グループサウンズのブームが過ぎたときに音楽を捨てて役者やタレントに転じたボーカリストたちに対して覚えた反感と通じるものがあると思う。あの頃の僕にとっては、音楽をやっている奴が一番偉かったのだ。

僕はそんな少年だった。

それから、志村けんの芸風が、大先輩のいかりや長介らに対して敬意を欠いているように思えたこともある。これはもちろん舞台の上でのコントであり、いかりやも承知の上のお約束である、ということは冷静に考えれば分かるのだが、まあ、何と言うか、坊主憎けりゃの類なんだろう。

一番後から入ってきた志村けんが、加藤茶を抜いて一番人気者になってしまったのも、なんとなく許しがたかった。

僕はそんな少年だった。

そもそも志村けんが子どもたちを相手に大人気を博した頃には、僕はもう中高生で、その子供向けの幼稚なギャグをあまり面白いと思わなかったということも根底にあったと思う。

なんであれ、僕はそんな少年だった。

これは志村けんを貶す目的で書いているのではない。いや、そもそも志村けんのことを書こうとさえしていない。これは僕のことを書こうとした文章である。

それから随分年月が過ぎ、ある程度年を取ってからの志村けんは好きだった。と言うか、テレビで見て、素直に笑い転げた。

あんな少年だった僕が長じて、昔は好きでなかった人物でもちゃんと評価できるようになるのかと、我ながら不思議な気がする。

なんであれ、僕はそんな大人になった。

宗教めいたことは書かない。志村さん、ありがとう。

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