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Tuesday, March 03, 2020

映画『パラサイト 半地下の家族』

【3月3日 記】 映画『パラサイト 半地下の家族』を観てきた。

見終わって、率直な感想として最初に思ったのは、「へえ、これがアカデミー作品賞&監督賞なのか」ということ。受賞に異を唱えているのではない。何と言うか、アメリカ合衆国も国際化したもんだ、という感慨。

30年前だったら、この作品はアカデミー賞を獲れなかっただろう。だってアカデミー賞はアメリカの最高峰の象徴だったのだから。そのアメリカ合衆国が漸く、アメリカン・ドリームばかりを語るのではなく、こういう話にも目を向けるようになったのだ。

彼らは、依然としてアメリカが世界の中心だと思っているかもしれないが、少なくともアメリカが世界の全てではないことを学習したのだ。そして、アメリカの内側にも、アメリカの外側にも、貧困や差別という共通した問題が横たわっていることに気づいたのである。

半地下に暮らす貧しい4人家族が、それぞれ身分や経歴を偽って、全く無関係な人間のフリをして、家庭教師/運転手/家政婦として、順番に同じ金満家一家に雇われて、最底辺からのし上がって行くのが前半。

全体を通じて、よくまあこんな込み入った話を考えたなあと思う、巧みなストーリーと、それをドライブして行く巧みな人物設定。結構笑いながら、時にはバレるのではないかとドキドキしながら楽しんで見られる。

そう、途中まではただ騙しのテクニックの話である。それが中盤から一転する。

金満家の家族が旅行に行っている間に豪邸で4人で好き放題していたら、そこから一気に風向きが変わって行くのである。折しも外は大雨。

大雨の中を家族3人(母親は家政婦なので残った)が逃げて行くところからの画作りがすごい。うらぶれた、如何にも貧しい町並みを、3人がびしょ濡れで走って行く。階段を下へ下へと降りて行く。階段を降り切った半地下の家は洪水に襲われてもはや人の棲むところではなくなっていた。

半地下の家も豪邸の地下室もそうなのだが、この物理的な高さの表現が別の意味の象徴になっている。

それでもそこはなんとか難を逃れた。が、その後のガーデン・パーティで恐ろしく悲惨な展開になる。そこからひとり走って逃げて行く父親をほぼ真上からずっと追ったカメラ──これもとても印象的な画だ。これは金持ちの視線なのである。

台詞回しの面白さもある。人物の描き分けも非常に機能的で、ストーリーがどんどん転がって行く。終盤になったところで、金満家の主人が運転手の“貧乏の匂い”に言及する。そして、主人を騙している父親もそこで初めてそれを自覚する。

そんな風にして、“貧乏の匂い”が観客に明示されると、それが分水嶺になって、そこまでの単に喜劇っぽい設定から一気に政治的とさえ言って良い展開になる。

さすがにアカデミー賞やカンヌの最高賞やゴールデングローブ賞を獲るだけのことはあって、作りはべらぼうに巧い。そして余韻が深い。

これは僕が映画館で生まれて初めて観た韓国映画である。とても良かった。

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