他人と同じであることの気持ち悪さ
【3月6日 記】 他人と同じであることの気持ち悪さと他人と同じでないことの不安──僕は間違いなく前者を感じるタイプだが、では後者は全く感じないかと言うと、必ずしもそうではないかもしれない。ただ、僕の場合、後者を感じるときは総じて精神状態の悪いときだと思う。
あるいは厳密に言うと、他人と同じでないことの不安なのではなく、他の誰よりも(あるいは他の大多数の人よりも)自分のレベルが低い、劣っているのではないかという不安なのではないかな。つまり、同様かどうかを気にしているわけではないのだ。
そもそも他の人がひとりひとり違うのだから、ひとりひとり違うものに同調できるはずがないとも考えているので、他人という集合と自分を比較することがないのかもしれない。
他の人と全く同じ人間なんて存在するはずがない一方で、他の人とあらゆる点で違っている人間もいない(もし、いるとしたら、それはヒトではない)。だから、人はある程度他人と同じで、ある程度他人と違うに決まっている。
でも、生きて行く中でどちらを指向するかと言われると、僕は他人と違う方向に向いて進むほうだ。
それでもたまに、他人と自分を比較して不安に感じることもないではない。他人と同じであることの気持ち悪さと他人と同じでないことの不安──強さや頻度の差はあっても、一応その両方を感じるということだ。
でも、最近の日本のさまざまな同調圧力に思いを馳せると、前者を全く感じない日本人がいるのではないかという気がしてきた。
僕には想像することもできない、そんな人がいるということも、人は一人ひとり違うということの証ではあるのだが、そういう人ばかりがいるとしたら、僕の気持ち悪さは募るばかりである。
「違う」は巧く運べば愉しみに通じており、「同じ」は息苦しさに変わってしまうことがある。それが僕の感慨である。仮に「みんな」がそう思っていなくても、僕はちっとも不安ではない。
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