『祝祭と予感』恩田陸(書評)
【2月5日 記】 『蜜蜂と遠雷』の言わばスピンオフ短編集。『祝祭と予感』というタイトルも全6編の最初の『祝祭と掃苔』と最後の『伝説と予感』を組み直したものだが、全ての章が『蜜蜂と遠雷』と同じ『○△と☆□』という構造になっている。
これを読んでいて思い出したのは、語の本来の意味とは少し異なるけれど、「余技」という言葉。そう、これは恩田陸の余技という感じがするのだ。
例えば原作小説を映画化するために設定を膨らませたり、筋をいじったりする作業に似ているのではないだろうか。
映画監督によってはメインの登場人物全員の育った環境や経歴、背景などを細かく規定して役者に渡す人がいると聞くが、ひょっとしたら恩田陸はクランクイン前にこの小説を書いて石川慶監督に渡したのではないかと思うほど。
勝手に原作小説をいじると原作者に怒られることもあるはずだが、何と言っても自分が原作者なのだから、誰にも怒られない。楽しくて仕方がなかったのではないだろうか。そういう感じが僕に「余技」という言葉を想起させたのである。
『蜜蜂と遠雷』の過酷なコンクールが終わった直後に亜夜とマサルがかつての恩師の墓参りに行く話(何故か風間塵もいる)。
ともに芳ヶ江国際ピアノコンクールの審査員であり、元は夫婦であったナサニエルと三枝子がお互い十代で出会った時の話。
課題曲『春と修羅』を作曲した菱沼忠明は、どのようにしてこの曲を作るに至ったかという裏話的なエピソード。
マサルの少年時代と、彼が如何にしてナサニエルの弟子になったかという、結構込み入った話。
楽器選びで悩んでいたビオラ奏者・奏のところに突然国際電話をしてきた亜夜と塵によって、彼女が新しい楽器と出会う奇跡のような物語。
そして巨匠ホフマンと天才少年・風間塵の尋常ならざる出会いを描いたワクワクする話。
映画を見た人だったら、読み始めからずっと画が浮かんでくるはず。恩田陸ファンだったら、何も言うことはないくらい楽しめるはず。
ただし、念のために言っておきますが、先に『蜜蜂と遠雷』を読むか、同名の映画を見るかしてからのほうが良いですよ(笑)
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