キネ旬的な評価軸
【1月13日 記】 去年はキネマ旬報ベストテンの発表が遅かったので、今年もそうなのかなと思って検索していると、「キネ旬ベストテンがヒット作を無視するワケ」という記事が出てきて、ちょっと驚いた。
いや、記事の中身は読んでいない。そのタイトルだけで充分驚いたから。
キネ旬は果たしてその年にヒットした映画を無視しているのだろうか?
まさか投票の前に審査委員が全員集まって、「皆さん、多額の興行収入を達成した映画は無視してやろうではありませんか」と怪気炎を上げているとでも思っているのだろうか?
ヒットした配給会社に怨みを持つ人を優先して審査員に選んでいるとでも言うのだろうか?
それは違うだろう。
映画を見たらみんながそれぞれ異なった感慨を覚えるのは当然のことだ。だから、審査員によって票が割れるのも当たり前だ。
だから映画賞によって選ばれる作品は少しずつ異なる。いや、かなり異なることだってある。ひょっとしたらこの記事は、「かなり異なっている」ことの理由を探ろうとしているのかもしれないが、そんな記事にこんなタイトルをつけるのは間違っている、と言うか、ひどい。
人によって、自分が選んだものと世間でヒットしたものが結構一致する人もいるだろう。逆に選んでみたら結果的にヒットしなかったものばかりだったというケースもあるだろう。そして、キネ旬の場合は後者のような審査員が多いということになるのかもしれない。
しかし、それは結果論である。毎年の2月下旬号に綴じ込まれている採点表を見ると、ヒットした映画も個別に見ていくとそこそこ票が入っているのが分かる。ただ、集積したら上位に来なかったというだけのことである。
大切なことは、このキネ旬ベストテンという賞は、ヒットしたかしなかったかということに左右されずに良いものを選ぼうとしている──ということだ。
もちろん、その対極として、「ヒットした=良い作品」という考え方もあるだろう。だが、キネ旬ではあまりそういう傾向は出てこない。ただ、キネ旬の審査員は、一人ひとりの感じ方がかなりくっきりとしているということだけは言える(そして、中にはヒット作にかなり票を投じている人もいないではないのだ)。
いずれにしても、審査員の顔ぶれを見ると錚々たるメンバーである。この錚々たる審査員たちを誰かが完璧に支配することができない限り、賞全体として何かを無視したり持ち上げたりすることはできないはずだ。
キネ旬がヒット作を無視しているのではない。この記事を書いた記者がキネ旬的な評価軸をないがしろにしようとしているに過ぎないと、僕は感じた。
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