『酔うと化け物になる父がつらい』マスコミ試写会
【1月21日 記】 『酔うと化け物になる父がつらい』のマスコミ試写会に行ってきた。監督は片桐健滋。前作の初演出作品『ルームロンダリング』も観たし、その後のテレビ版『ルームロンダリング』も観た。
渋川清彦が“酔うと化け物になる父”に扮し、食堂のオヤジのチョイ役でオダギリジョーが出てくるのもその流れである。
原作は菊池真理子の実体験に基づく大人気コミックエッセイなのだそうだ。
冒頭のシーンは年末で、主人公のサキ(松本穂香)がカレンダーを付け替えようとしている。で、今年のカレンダーを外してみたら、そこに何かがある。だが、カメラはそれを映さず、ひたすらサキのアップを撮る。サキの顔が見る見るうちに泣き顔っぽくなる。
ここで壁に何があったかを見せないということは、映画の後半、多分クライマックスと言えるところでこのシーンに戻ってきて種明かしをするということだ。よくある手法ではあるが、壁にあったものの正体によってはとても効果的な演出になる。
サキの8歳から30歳くらいまでが描かれている。会社員(人事部)の父・トシフミ(渋川清彦)は毎日のように酔って帰ってきて、酔いつぶれたりクダを巻いたりする。仲の良い3人組(宇野祥平、森下能幸、星田英利)が家に来て徹夜麻雀をして結局酔いつぶれたりもする。
おかげでサキとプールに行く約束は果たされたことがない。サキはそれを恨みに思って、いつからか、父が酒に酔った日はカレンダーに赤マジックでバツ印をつけるようになった。そのカレンダーが貼ってあったところに何かがあったわけである。
サキの母はなんだか胡散臭い新興宗教の信者で、毎日お祈りはしているが、父やその友人たちには従順で、言われれればいくらでも酒を出してやる。でも、それは呆れ果てた末の無気力に過ぎない。「人を憎んで罪を憎まず」などとよく分からないことを口走る。
サキの妹のフミ(長じて以後は今泉佑唯)はサキと対象的に明るく、父に対してもサキより幾分優しく、サキほどの苦悩はないように見える。サキは「フミはみんなに好かれているんだろうな」などと思う。
僕は下戸で、酒飲みの気持ちなんか解らない。だから、ひどい酔いっぷりを次々と見せる渋川清彦に共感なんか全く湧かない。僕自身の父親が、酔うと高圧的、かつ暴力的になる男だったことにも影響されたのかもしれない。いや、酔ったときに限った話ではない。酔っていないときもかなり高圧的かつ独善的な男で、酔うと単純にそれが増幅されたのだ。
だから自分が飲める/飲めないに関係なく、酒飲みに対する生理的な嫌悪感が、少年時代の何年間かをかけてゆっくりと熟成されていったのかもしれない。それは原作者も同じではないのかな。
だから、映画を見ながら、これが酒飲みを擁護するような形で終わると嫌だなあと思っていた。今回は、そんな僕の感覚と映画の作り手の感覚がうまく合致したようだ。
原作者の菊池真理子が監督に最初に言ったのは「ハッピーエンドにしないでほしい」ということだったらしい。
監督は「なるほどな」と思ったそうだ。「お父さんがもし生きていたら、どんなことを言ってほしいですか」と訊くと、「ごめんなさい、とちゃんと謝ってほしいと今でも思っています」と彼女は答えたそうだ。彼女のほうは、監督に「家族愛の話にしないでください」と言ったら、監督が「当然です」と答えたのが印象的だったようだ。
その2人のやりとりが見事に映画の中に生きている。
絵空事の父と娘の絆のハッピーエンドにはなっていない。酒飲みを美化してはいない。ただし、肉親であるというのはどういうことなのか、そのしがらみをしっかりと描いている。人間の弱さと悲しみをじっくりあぶり出している。
カレンダーの話もそうだが、小さなエピソードを網の目のように繋いで、非常にうまい構成になっている。脚本は片桐健滋と“ザ・プラン9”の久馬歩の共作である。
ほんとうは深刻な話である。でも、それを暗いトーンでは描かない。そのために投入された、トシフミの親友役の浜野謙太、サキの親友役の恒松祐里、行きつけのスナック「からし」のママの安藤玉恵らがものすごくよく機能している。
ちなみに、サキの幼少期を演じていたのは、TBS『凪のお暇』で凪の隣の部屋に住むうらら(吉田羊の娘)の役をやっていた白鳥玉季である。この子も愛らしくて、小さい頃の一本気をよく演じていて、それがそこからどんどん暗くなり自己肯定感も乏しくなって行く松本穂香に繋がるところが怖い。
でも、怖いだけではない。恒松祐里の台詞、今泉佑唯の台詞、浜野謙太の台詞──いろんなところで僕らは救われる。
ひとことで言って、とても良い映画だった。
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