『されど私の可愛い檸檬』舞城王太郎(書評)
【12月12日 記】 『私はあなたの瞳の林檎』を読んで、この、僕にとっての全く brand-new な舞城王太郎に僕は参って、その勢いが止まらずに姉妹編の『されど私の可愛い檸檬』に突入したのだが、こっちもまたべらぼうに面白くてべらぼうに新しい舞城王太郎だった。
この2冊は何だろう、例えば大瀧詠一が『A LONG VACATION』を出した時の衝撃に似ている。はっぴいえんど時代からずっと、ちょっとヘンテコリンな曲ばかり書いていた人に、えっ、こんなにメロディアスなポップスも書けたの?という驚き。
今回はヒップホップの作曲家がクラシックの曲を書いてきたような衝撃。
『私はあなたの瞳の林檎』が若い子たちの、詩のような恋愛の話だったからこちらもそうかと思って読み始めたら、なんのなんの、こちらはもう少し年代が上の、それ故かなりシヴィアな世界ではないか。
最初の短編『トロフィーワイフ』は主人公(扉子)の姉(棚子)の夫(友樹)が“愛の真実”に目覚めてしまい、それは彼にとって妻への愛情を些かも削ぐものではなかったのだけれど、その言葉に引っかかりを覚えた棚子が出ていってしまうという話。
正直。《完璧》って天体のさらに惑星直列、みたいなのが、どうやら姉を中心に起こっている。
などという、如何にも舞城王太郎らしい表現にときどき出くわすのだが、しかし、それは最初から舞城王太郎作だと知って読んでいるからであって、誰だか知らずに読んでいたら、このストーリーから舞城王太郎を想起する人は少ないのではないだろうか。
で、これは夫婦の物語かと思って読んでいたら、いやいや後半は扉子と棚子の壮絶な姉妹の諍いの話になる。
そこには生まれつきの2人の性格と、小さなころからの2人の関係性が根深く結びついていて、この設定と展開が、奇抜ではあるが全くリアルで、並の読者には歯が立たないのである。
2作目は『ドナドナ不要論』。冒頭に「僕は『ドナドナ』が嫌いだ』と書いてあって、しばらくこの歌の不要論が続く。
これもまた、その僕(智)と妻(椋子)との夫婦の話なのだが、しかし、いきなり椋子の叔母の死の話になり、彼女がいきなり「えっくえっく泣き出し」たりして、一向に『ドナドナ』と繋がらない。──ということは後半のどこかでこの歌が戻ってきてテーマに繋がるぞ、と思っていたらやっぱりその通りだったが、ネタバレになるのでここには書かない。
と言いつつ、多少ネタバレ的なことも書いてしまうと、そこから今度は近所の子供の誘拐騒ぎやら、椋子がガンになったり、それをきっかけに椋子の両親とのいざこざや椋子自身の情緒不安定やら、かなりキツイ展開になる。
「具合どう?」
「うん。大丈夫」
とこの場では言うだろうな。
という、さらっと書かれたキツイ状況がかなり胸にこたえる。
で、『ドナドナ』である(もうそれ以上は書かない)。
最後が表題作。
今度は努めて他人との距離を取っているにもかかわらず女の子を引っ掛けるのが得意な大学生の恋愛話かと思っていたら、こちらもそこから彼の生き方、就職、仕事というかなりシヴィアな話になってきて、驚く。
何故驚くかと言えば、そこで展開される言い合いがきわめてリアルだからである。僕はこの主人公のような、決めることを逡巡して先へ行けない、と言うより行こうとしない態度については少しも共感を持てない。でも、こういう奴、確かにいるよなあ、と思う。
そして、そんな彼にこういう理屈で議論ふっかけてくるこんな奴もまたいるんだよなあ、と思う。そういう議論(と言うか水掛け論かも)の描写が何度も出てくる。彼は大体途中で反論を諦める。彼は負ける。
彼は何人もの人から批判され、叩かれ、そして流されて行く。でも、
私はあなたがどんなにポンコツでも見捨てないからね。あなたは私が選んだポンコツさんなんだから
と言ってくれる人がいるのである。最後に来て泣けるではないか。
そして、「ポンコツ」がタイトルになる時「可愛い檸檬」に転じているのである。明示的ではないが、こういうところもまた舞城王太郎一流のテクニックである。
ともかくこれが舞城王太郎なのである。ともかく読んでみられたし。僕は絶句して続きが語れない。
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