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Sunday, November 10, 2019

映画『ひとよ』

【11月10日 記】 映画『ひとよ』を観てきた。「ひとよ」とは「一夜」のことであるが、わざわざ仮名書きにしてあるのは明らかに他の意味を読み取ることを想定してのことだろう。原作は「劇団KAKUTA」という劇団の芝居だそうだ。

白石和彌監督は、ずっと面白い存在だなあと思っていたが、僕にとってはどちらかというと少し外れた脇道にいるイメージだった。それがここのところメインストリームに出てきた感がある。この人は多作だが、毎回違う役者を起用する。そこが僕は好きだ。

途中で判るが、舞台は茨城県のどこかの町である。冒頭は激しい雨の夜。タクシー会社の事務所にタクシーが乗りつけて、後部座席から男が降りてくる。酔っているのか大声で悪態をついている。

で、カメラはタクシーの中に変わる。運転手がバックを始める。ゴンッと何かに当たった衝撃。

次のシーンは事務所兼住居みたいなところ。男2人、女1人のきょうだいがいる。3人とも誰かからイジメに遭っているのかあちこちに傷跡があり、包帯を巻いたり湿布薬を貼ったりしている。

神経質そうにパソコンを組み立ている長男。歩きながら ICレコーダーに自作の小説を吹き込んでいる次男。お人形の髪の毛をカットしている妹。

そこに先ほどの運転手が入ってくる。冒頭のシーンでは顔がよく分からなかったが、女だ。それは3人の母親・こはる(田中裕子)だった。

こはるは3人におにぎりを食べさせ、自分も1個頬張って、「今お父さんを轢き殺してきた。これでもう暴力を恐れることはない。みんな自由に生きなさい。自分は今から警察に行く。出所してもすぐには戻れないだろうが、15年経ったら戻ってくる」と言って出て行く。

そして15年後。まずは人物紹介だ。タクシー会社は親戚の丸井(音尾琢真)が引き取って切り回している。

長男の大樹(鈴木亮平)は吃音がある。地元の電気店で専務をしている。次男の雄二(佐藤健)は東京でライターの端くれになって、風俗記事などを書きながらなんとか生計を立てている。妹の園子(松岡茉優)は美容師の夢を諦め、場末のスナックで働き、毎晩悪酔いして帰宅する。

そして、あの事件からきっちり15年経った夜、そこにこはるが本当に戻ってくる。母を思う気持ちはありながらも動揺してしまって何をどうして良いやら分からず狼狽える大樹。もう少し落ち着いていて、母の帰還を素直に受け止め、気遣いもしっかりできているのが園子。

そして、呼び戻されて東京から帰省した雄二は、逆に、母が殺人者になったために自分が辛い目に遭ったことで明らかに母を恨んでいた。

それが初期設定である。どう考えてもこれはめちゃくちゃややこしい。家族も、疑似家族的なタクシー会社の仲間たちも、そして世間も、渦巻く感情はあまりにも多様で、あまりにも捻じくれて、一筋縄では行かない。寂れた街の風景をバックに、ともすればみんなの気持ちが荒んで行く。

それを本当にリアルに描いてある。

一体この脚本は誰が書いたのだろうと思ったら、高橋泉だった。原作へのリスペクトからか原作の台詞をそのまま使っているシーンも多いらしいが、如何にも高橋泉らしい見事な台本である。思えば『ある朝スゥプは』や『14歳』など、初期の作品から高橋が得意としていたテーマではないだろうか。

そこから先はもう書かないが、ストーリーは結構うねって行く。4人家族の話だけではなく、大樹と別居中の妻(MEGUMI)や、タクシー会社の新任のドライバー・堂下(佐々木蔵之介)のこれまたとんでもないエピソードを折り込みながら、そう易々とありきたりの成長物語には到達せずに、ぐちゃぐちゃになって行く。

主演は佐藤健という扱いになっているが、何と言っても田中裕子がすごい。

髪を真っ白に染めたのは本人の提案によるらしい。夫を殺した日、運転手の制服のネクタイが歪んでいるのを監督が気に入って、衣装さんにそれをキープしてくれと頼んだら、田中裕子からのオーダーで既に縫い付けてあったのだそうだ。

空疎な無表情かと思えば、虚勢を張ったかのようなコミカルさを出してみたり、落ち込むシーンも、慈愛に満ちた表情も、ほんとうに自在な演技に圧倒された。

「私は間違っていない」という台詞があるのだが、それは彼女が本当に間違っていないと確信しているのではなく、でも、今子供たちにはこのように言うのが正しいのだと確信している母親の姿がくっきり見えた。

それから松岡茉優はやっぱり巧い。ちょっとした台詞や所作に彼女なりの工夫がある。

最後のシーンの、母親の髪を切ることになって張り切った感じ。そして、それを待つ母の後ろ姿が、これまた、顔が見えないのになんだか多くを語っている。

血縁というものをこんなに見事に描いた映画はないと思う。良い作品だった。狭い箱であったがぎっしり満員だった。

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