『違和感のススメ』松尾貴史(書評)
【9月5日 記】 松尾貴史氏に実際にお目にかかったことはないが、もう何年も twitter でフォローしている。何故だか知らないが、松尾氏も僕をフォローしてくれている。
それで彼の考え方・感じ方は十全に承知しているつもりなので、この本は別に読まなくても良いかなと思ったりもしたのだが、結局はその絶妙なタイトルに惹かれて読んでしまった(笑)
しかし、時々あることなのだが、読み始めてしばらく、あまり面白くない。「えっ、なーるほど、そう来たかっ!」というようなことが何一つ書かれていないのである。書かれているのは普段僕が考えたり感じたりしていることとあまりにも共通している。
だから、別段面白くない。痛快でもない。彼の書いていること自体に違和感なんかほとんどない。
でも、考えてみれば、それは僕が松尾貴史と同じような発想をし、同じような思想を抱いているということで、つまりそれは、僕がもし公の場で松尾貴史と同じように好きなことを喋ったり書いたりすると、僕も彼と同じように「反日」と言われ吊るし上げられるということだ。
今はそういう世の中になってしまったのである。そして、そういう環境があるからこそ、この人は違和感をぶちまけているのである。偉い人である。
政治的なことを語る時に、松尾貴史はほんとうにいろんなことをよく知っている。いろんな事例を挙げ、経緯を解説し、論拠となるところを述べている。もちろんこれらのことを松尾が全て憶えていたとは思えない。
書くに際して改めて調べているのだ。これはとても大事なことで、今は調べもせずに国の偉い人の言うことを鵜呑みにしたり、調べもせずにキッチュのツイートにムキになって罵詈雑言をあびせたりする人がとても多い。
そういう手法を、彼はまたこの本で手本となって示しているとも言える。
藝人は、社会のお手本ではない。お手本は、政治家に求めて欲しい。
などと言いながら。
読み進んでいくと、論評は政治の場からもっと日常的な身の周りの話になってくるのだが、この辺りからは少しただの頑固爺みたいな、イチャモンみたいな感じも出てくる。
特に「ポイントカードをお作りしましょうか」という言い方に異論を唱え、「お作りさせてください」と言うべきだと言う辺りは、如何にも頑迷固陋で、読んでいて違和感がある。このぐらいになったほうが面白いのではあるが(笑) まあ、僕は各種ポイント制度のメリットを大いに享受してますからね。
中で時々出てくる立川談志のエピソードが読んでいてめちゃくちゃ楽しい。ああ、この人は立川談志が好きだったんだな、尊敬していたんだな、と思って読んでいると、最後のパートはその談志の弟子である立川志の輔との対談になる。
途中から2人で談志の話ばかりしている。そして、もう本のページが尽きる頃にこんなことを言う。
僕は違和感って哲学のもとだと思うんです。何かに疑念や問いを持たないと哲学って始まらないじゃないですか。
なるほど僕は彼の哲学のもとを読まされていたわけだ。最近は哲学を語るような人はめっきり少なくなってしまった。僕も違和感を忘れずに、たまには哲学を語ってみたい。
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