『聲の形』ふたたび
【8月17日 記】 僕は今まで京都アニメとは縁がなくて、京アニの作品は1本も観たことがない、と思い込んでいたのだが、実は映画『聲の形』が京アニ作品だった。
それで当時書いた映画評を読み返してみた。何度も書いているように、僕は時が経つと観た映画も読んだ本も、悉く内容を忘れてしまう質なので、この映画のことももうおぼろげにしか憶えていない。
ただ、その時の記述にあるように、
そこにあるのはきれいごとではない世界であり、「きれいごとではないんだ」と糾弾する単純さをも排斥した、深くて一筋縄では行かない世界なのだ。そして、まさに僕らの暮らす世界はそのように進み行くのである。
というような印象はなんとなく残っている。
そして、その文章の最後のほうに僕はこんなことを書いている。
一体どんなに重苦しいラストが来るのかと固唾を呑んで観ていたのだが、そのあまりの明るさと軽さにちょっと肩透かしを食らった感があった。
(中略)奈落の底に突き落とされるような非常に後味の悪い結末を期待してしまっていたので、妙に物足りない感じもあった。
僕が作るとしたらもっともっと陰惨な終わり方をしたのになあ、というのが正直な感想である。それが良いことなのかどうかは別として。
やや貶した風の文章になってしまっていたら僕の不徳の致すところである。良い映画であったということを前提に、僕固有の感じ方について少し書いてみた。
正直言って映画のラストがどんなだったのか全く憶えていない。ただ、この文章は今自分で読み返しても面白い。
映画評を書くのは自分を知るためなのかもしれない。
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