『そして、バトンは渡された』瀬尾まいこ(書評)
【7月23日 記】 2019年の本屋大賞受賞作である。僕にとっては『幸福な食卓』以来14年ぶり(その間に映画になった『僕らのごはんは明日で待ってる』は観たけれど)の瀬尾まいこ。
幼い頃に母親を亡くし、いろんなことがあって血の繋がらない親たちの間を、まるでバトンを渡すようにリレーされ、その間に苗字は4回変わり、結局人生トータルで父親が3人、母親が2人いる優子の小学生時代から大人になるまでの話。
この話のミソは、そんな逆境に耐えて、それでも明るく健気に乗り切った、という主人公を描いているのではなく、どんな環境でも常にあっけらかんとして、ちっとも不幸ではなかった優子を描いているところである。
この本を読むと「こんなことは絵空事である」というようなことを言う人がきっといると思う。ここに出てくる人たちは、優子も含めて、親たちもクラスメートもあまりに良い人たちだ。こんな風に周りの人たちに恵まれるなんてことは現実にあることではない、などと。
いや、本もろくに読まず紹介文を読んだだけで腹を立てる人もいるだろう。それはあるいは、優子ほどではないにしろ、優子と似たような境遇にあった人なのかもしれない。
でも、多分瀬尾まいこが書きたかったのはそこではないのだ。
つまり、著者は「こんなに親が何人も変わるような境遇でも気持ちの持ち方次第でこんなに幸せになれる」と主張したかったのではないのだ。
多分彼女はただ、こんな境遇にあっても幸せに生きている優子を描きたかった、いや、もっとストレートだ。環境は単に物語を転がすための設定でしかなく、ただひたすら素直にくよくよせず前向きに幸せに生きている優子を描きたかっただけなのだと僕は思う。
だって、僻んだり妬んだり恨みを抱いたり鬱屈したりしていてもつまらないもの。いや、多分もっとポジティブだ。物事を素直に受け取り、他人のこともちゃんと考えて生きるって素敵なことじゃないか、みたいな感じじゃないかな。
冒頭に書いたように、僕は瀬尾まいこの熱心な読者でも何でもないけれど、瀬尾まいこってそういう物語を紡ぎ出す作家だと思う。
生きて行くうちにはいろんな事件があり、時にはそれが試練になる。優子にとって最初の試練は母親の死だが、これはあまりに幼かったので心の傷にはなっていない。その次の事件は父親の再婚だが、幸いにして再婚相手の梨花さんとはとても気が合って楽しく暮らして行ける。
でも、そこからが奇想天外で、両親は離婚するのだが優子は梨花に引き取られる。しばらくして梨花は他の男性と結婚するが、今度は梨花を置いて出て行ってしまう。
そんな目に遭ったら、その日からグレたって仕方がない。でも、優子は現状を受け入れて明るく生きて行く。この現状を受け入れる力がすごい。
多くの登場人物は優子に好意的だが、彼女をいじめるクラスメートもいた。うまくいかなかった恋人もいた。親たちもみんなそれなりに優子のことを考えてくれたが、度重なる再婚や出奔を見れば、そこに親たちのエゴがあったのも分かる。
だから、優子も時に落ち込み、時に悩む。でも、結局優子はそれらを全部受け入れる。そして、全部受け入れたら、そこに一緒に幸せが舞い込んできた、という感じ。
僕らはこの過程を微笑みながら読めば良い。そこに変に教訓を求めたりリアルさを採点したりせずに。そうすると幸せな気分で読み終えられる本だし、読み終えた瞬間からあなたはどのように生きれば幸せなのかを自分でも考え始めるだろう。
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