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Saturday, July 20, 2019

映画『天気の子』

【7月20日 記】 映画『天気の子』を観てきた。僕は『君の名は。』で初めて新海誠を知り、魅了された。それは何よりもまず圧倒的な作画能力によるものだ。

2016年の賞レースでは『この世界の片隅に』に投票した人のほうが多かったように思うのだが、僕がどうも納得が行かなかったのは、もちろんテーマの好き嫌いもあるし、作風の違いということも割り引いて考えなければならないとしても、作画の能力という点においては『君の名は。』のほうが圧倒的に凌駕していると思ったからである。

僕はここ何十年かのアニメーションの進化の中心に作画能力の劇的向上があると思っている。それは構図の多角的発展である。物語はもはや人の目線(それが登場人物の目線であれ観客の目線であれ)では語られない。

そこにはカメラがある。カメラは人の手の届かない高さにあったり、人であれば這うしか仕方がない場所から狙っていたりする。そして、カメラは人が回り込めないところに、人が動けない速さで移動する。構図は圧倒的な無言の言語で僕らに語りかけてくる。

『君の名は。』では、カメラが動いたときのレンズの歪みまで表現してあったので、僕はぶっ飛んだ(今回もあったが)。

今回の映画ではそれに加えて雨である。雨の質感。

──水は表現が難しい。降り始めの雨、降り止んだ後に残る雫。激しい雨、優しい雨。大粒の雨、こぬか雨。透明のビニール傘や窓ガラスを伝う水滴。流れる水滴、止まる水滴、コースを曲げる水滴。

水たまり、アスファルトに滲みていく雨、濡れた床の反射。水面に衝突する水滴、広がる波紋。

むくむくと盛り上がった雲、黒い雲から容赦なく落ちてくる雨、雲を背景に走る稲光、そして、雲が割れて太陽が強く斜めに射す。

とにかく東京中に雨が降る。東京の風景をたくさん知っている人ほど身に沁みるのではないだろうか。そこには写真に撮ったような写実的な風景があり、一方で如何にもアニメーション的な花や草や人物がある。

その中で家出少年と晴れ女の物語世界がある。もちろん、この物語を構築する力も素晴らしい。でも、それはこんな圧倒的な作画能力があってこそ、僕らの胸に染み通っていくということを、しっかりと認識しておきたい。

遠くのほうまで、丁寧に細かく描き込んだ、ものすごく奥の深い構図の中を帆高が走る。

そして終盤、映画というエンタテインメントの世界にあっては、世界が元通りになって物語が終わるのが常識なのに、そうはしなかった展開がすごいと思った。このバランスが崩れたままの世界を、しっかり目を開いて見なければならない。それはひとつの世界観であり、メッセージである──そう思いながらパンフレットを読んだら、新海誠自身がこんなことを言っていた。

一件落着して“元に戻って良かったね”で終わる話は今さら難しいのではないかと考えました。昔話ならば悪役を倒して世界に平和が戻るけど、現実世界はそんなにシンプルじゃないことを皆が身に染みて知っている。

終盤、帆高が廃ビルの階段を駆け上がって行くシーンのなんと美しいことか! 陽菜と帆高が真っ逆さまになって天から落下するシーンのなんと美しいことか! それら多くのシーンを重ねて見せられてきたから、僕らはラストシーンに胸詰まる思いをするのだ。

見終わった後、無限に広がって行くこの読後感は何だろう? この茫漠として、かつ深遠な読後感。これこそが映像芸術ではないだろうか。

帆高は言う──「神様、これ以上ぼくたちに何も足さず、ぼくたちから何も引かないでください」と。僕は言う──「これ以上この映画に何も足さず、この映画から何も引かないでください」と。

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