とは言え
【5月25日 記】 最近すごく気になるのは若い人が言う「とは言え」ということばです。
そもそもは「○○とは言え」と接続助詞的に使う言葉ですが、それを単独で文頭に持ってきます。いや、それは良いのです。昔からある用法ですから。気になるのはそのアクセントです。
全体に平板なんですね。例えば「こめかみ」なんかと同じようなアクセント。我々の世代は「とは」を高く発音していました。
いろんなことばのアクセントが平板化しているというのは随分前から指摘されていることで、例えば仕事でよく聞く「御社」も昔は「おん」が高い“頭高”アクセントでしたが、最近は「サンマ」みたいな“平板”アクセントで言う若者が多くて、年寄りとしてはこれまた気持ちが悪いんですよね。
まあ、別にアクセントなんてどうでも良いじゃないか。好きなように発音すれば良い。英語みたいな強弱のアクセントじゃないんで間違えると通じないほどのもんじゃないし。──と言う人もいるかもしれませんが、いや、日本人も意外にアクセントで聞いている(意味を取っている)んですよ。
例えば、大阪生まれ大阪育ちの私が初めて東京に転勤したときに、タクシーに乗って行き先を告げた「渋谷」が通じませんでした。これ、とても文章で表現しきれませんが、関西人が発音すると微妙に粘っこくてまったりしたアクセントになってしまうんですね。それで運転手さんに「はぁ?」と訊き返されてしどろもどろになりました。
昔 Tops のギャグで「隠れ関西人には『ネクタイ』や『ネクター』を発音させると大阪出身であることがばれてしまう」というのがありましたが、まさにあれです。
そして、東京生まれ東京育ちの妻と結婚してからも、ある日、私が外を眺めながら「えらい雨やな」と言ったところ、これまた「え? 何がダメなの?」と訊き返されたりしたことも。これは大阪弁の「雨」と東京弁の「ダメ」がほぼ同じアクセントなんですよね。
ことばというものはみんなが口々に使うもので、使っているうちに使い方やアクセントなどが定まってくるのであって、当然時代とともに変わって行くのは必定なんですが、単なる「ことば」に国家が関与して「国語」になると、権威はどうしても「正しいことば」と「正しくないことば」を規定しようとします。
そして、その結果が辞書に反映し、例えばアナウンサーのことばに反映します。でも、正しい言葉は常に時代を後から追いかけて行くことになります。
そして、新しいことばが出てきたときにはかなり混沌とした状態になることもあります。
皆さんお気づきかどうかは分かりませんが、「令和」の発音については東京キー局のほとんどが“平板”と“頭高”の両方のアクセントを認めているのに対して、TBSだけは“頭高”を推奨しています(もちろんこれは局アナ等の場合であって、お笑いタレントが勝手に喋ってるところまでは及びません)。
「令和」はこの先どう変わって行くのでしょう? そんなものはみんなが勝手に発音していれば良いのかもしれません。とは言え、いろいろ気になる年寄りの独り言でした。
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