薔薇がなくちゃ生きていけない
【5月27日 記】 『Kのトランク』と『スカーレットの誓い』の詞に佐藤奈々子による「薔薇がなくちゃ生きていけない」というフレーズがあって、僕はそのこと、その意味するところをずっと考えている。
この2曲が収められている『マニア・マニエラ』が発売されたのが 1982年だからもう35年以上ずっと考えていることになる。
このアルバムには他に糸井重里の詞による『花咲く乙女よ穴を掘れ』とか、鈴木博文の詞による『ばらと廃物』なんて作品もあって、要は花というものをどう捉えるかという問題になってくる。
ググっててみたら思いがけず mixi (!)に当時の佐藤奈々子の思いを書いたページがあって、それを読むと、彼女にとっての「薔薇」は「最高の宝物っていうか、いつも気持ちの中にあるもので、とってもかけがえのないもの」なのだそうで、これは僕が捉えていた感じよりも遥かに重かった。
そして、彼女が詞の全編を提供した『Kのトランク』の K は言うまでもなく鈴木慶一で、「Kのトランク」とは「慶一くんの音楽の宝物の入っている箱のこと」なのだそうだ。これも僕が感じていたより、遥かに思い入れが強い。
僕はそんな心の中心にあるようなものではなく、もっと脇役の、例えば窓辺にそっと置かれた一輪挿し、みたいなイメージで捉えていた。
それは僕のイメージのように一輪の花なのか、それとも群生して咲き誇る薔薇なのか? いや、そもそもそれは薔薇でなければならないのか?
うん、僕の場合は一輪だな。それも大切な大切な一輪という感じではなく、ひっそりと咲いてほのかに香る一輪。薔薇でなくても構わない。
でも、橿渕哲郎はそれを(一方で佐藤奈々子の言葉を借りて「薔薇がなくちゃ生きていけない」としながらも)「百億の色で描く 青春のエムブレーム」と歌った。
僕はこの人の感覚には絶対に敵わない。が、いずれにしても、それぞれの人にとっての薔薇がなくちゃ生きていけないのではないだろうか。
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