『錆びた太陽』恩田陸(書評)
【4月23日 記】 直木賞受賞後の長編第一作ということである。今まで恩田陸にあまり馴染みのなかった読者は、直木賞を受賞した『蜜蜂と遠雷』の線を想像したかもしれないが、実は恩田陸の中にはいろんな恩田陸がいる。
SFっぽい話もあれば、魔法みたいな話もある。一見魔法めいていて、実は超現実的なことは取り立てて起こっていない話もある。
人間の心の襞をなでて行くような作品もあれば、少年少女が心踊らせる物語もある。濡れた紙がぺっとりと肌に吸い付くような精緻な描写もあれば、やや隙きがありながらもポップに弾む文章もある。
しかし、それにしてもこの文章にはあまり感心しない。なんだか恩田陸らしくない不完全な感じ。ギャグがすべっている向きもある。そして、ちょっと説明的に過ぎる嫌いのある筆運び。
恐らく原発関連と思われる「最後の事故」によって国土のかなりの部分が立ち入り制限区域となり、7体のロボットだけがそこに駐在して日夜パトロールをしている日本のどこか。そこにある日国税庁から来たと言う変な女がやって来る。名前は財護徳子。
彼女の目的が何なのかよくわからないまま、「ボス」を筆頭とする7体のロボットたちは結局彼女に協力することにする。
「ボス」以外のロボットの名前は「デンカ」、「ジーパン」、「ゴリ」等々。ここまで書いたら、ある年齢以上の読者なら他の3体の名前も想像がつくだろう(笑)。しかも、後に「シンコ」というのまで出てくる。
彼らが使ういろんな乗り物の名前が「一番星」だったり「サンダーバード」だったり「ワイルド7」だったりして、これはもう昭和に育った読者を馬鹿にしているのかとさえ思ってしまう。
しかも、ロボットだから感情がないとか何かを忘れることはないとか、いろんなことを描きながら、時々そのロボットがちょっとだけロボットらしくなくなったりもする。
そんな辺りを少しイラッとしながら読んでいるうちに、そうか、今回の恩田陸はこういうのを描きたかったんだと気づく。
これは隅々まで整合性の取れた設定による近未来SFなどではないのである。
誤解を恐れずに書くと、これはロボットが人間に寄り添う話である。そして、人間が人間らしく生きる話である。人間が人間らしく生きるのを描くために、徳子といういささか普通の人間の常識から外れた主人公を持ってきたところこそが、この作家の巧いところなのである。
ロボットだけではなくゾンビまで出てきて、この小説は一体何をしたいのかと途中で首を傾げたのだが、ロボットとゾンビという非人間の中にたったひとりだけ徳子という人間がいて、それでも彼女は全く自分らしさを失うことなく、一貫して変であるところがこの小説の魅力なのである。
そんな小説だから、『黒と茶の幻想』や『夜のピクニック』や『蜜蜂と遠雷』みたいに、引き込まれて、先が知りたくて、読むのが止まらなくなるような小説ではない。
でも、なーんか、良いのである。
これは僕が一番好きな恩田陸ではない。でも、これも恩田陸なのである。
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