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Monday, April 22, 2019

映画『愛がなんだ』

【4月22日 記】 映画『愛がなんだ』を観てきた。今回はいつもみたいに監督で選んだのではなく、完全に岸井ゆきの目当てだ。原作が角田光代の小説であったことも後から知った。

岸井ゆきのの名前がはっきり僕の脳に刻まれたのは、2015年の深夜ドラマ『となりの関くんとるみちゃんの事象』だった。とっても変わった女子高生・るみちゃんのちょっとだけ変わった同級生役。「あ、この娘、いいなあ」と思ったのだが、一方ですぐに消える娘だと思っていた。

ところが、翌年の映画『ピンクとグレー』を観たときに、「あー、この娘、いいわ。生き残るかも」と思った。そう思うと、そのあと同じく深夜ドラマ『神奈川県厚木市 ランドリー茅ヶ崎』への個性的な役柄でのゲスト出演、映画では『二重生活』、『森山中教習所』と、どんどん目に留まる。

そしてついに『おじいちゃん、死んじゃったって。』では主演である。キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!と思った。そして去年の『ここは退屈迎えに来て』があった。

でも、NHKの朝ドラを観ない僕は、彼女が3月で終わった『まんぷく』で大きな役を得てブレイクしたことを知らなかった。

おかげで1席の余地もない満員どころか、立ち見も20人ぐらいいる大盛況だった。

いや、ひょっとしたら、これは岸井ゆきの目当てではなく、共演の成田凌目当ての客が多かったのかもしれない。とにかく女性が7~8割、一部はカップル。ちなみに僕の両隣は若い女性の一人客。あとはおっさんの一人客もちらほら。

マモル(成田凌)にベタぼれしているテルコ(岸井ゆきの)は、男に対してものすごく依存するタイプ。どんな扱いを受けても彼からの誘いをじっと待っている。ここまで来るともう依存ではなく従属である。

かたやマモルは、女の子にここまで慕われると大抵の男は多少の抵抗感はあってもいじらしさに参って陥落するか、一気に醒めて引いてしまうかのどちらかなのだが、そのどちらの端にも行かず、ちゅうぶらりんのまま都合よくテルコと遊びテルコと寝る。

ここまで行くともう自己中というような言葉で定義できる男ではない。自己中心に加えてとんでもない鈍感さがなければ、女の子に対してこんな風に振る舞えないだろう。で、うん、こんなやついるかもしれんな、と思わせてくれる。

これほど役者の芝居を見せてくれる映画はめったにないと思う。カメラの動きを止めてバツの悪さが鮮明に出る長い長い芝居をさせる。そして、岸井ゆきのも成田凌もこの演出に見事に応えている。本当に巧い。

親友の葉子(深川麻衣)はテルコに「そんな殿様男やめな」と忠告するが、彼女自身にも彼女にぞっこんで尽くして尽くして尽くしまくるナカハラがいる。マモルとテルコの関係のある種の裏返しが葉子とナカハラという設定が上手い。

このナカハラには若葉竜也というものすごく巧い男優を持ってきて、中盤からマモルが惹かれ始めるすみれには凡そ成田凌が惹かれそうもない江口のりこという強烈な女優を宛てたキャスティングが秀逸である。

原作にない部分も含めて、極めて綿密に練られたダイアローグが素晴らしい。突然ラップになる長回しで度肝を抜いておいて、その後2人に出くわしてしまういう不気味な幻想。そして、小学校時代の自分にたしなめられるという展開もおかしい。

さらに、ここでつばを吐く、ここでは急に「一口ちょうだい」と言う、というような枝葉末節の細かな仕草にリアリティがある。

初っ端の岸井ゆきのの目のとんでもないアップは視野の狭さを象徴しており、終盤の象のアップは「群盲象を評す」が込められているという話を、鑑賞後パンプレットを読んで知り、なおさら感慨が深くなった。

痛い痛い話。行き場のない物語。でも、げっそりしないんだな、これが(笑)

ここでぶっつり切っても映画の終わり方としては全然悪くないと思うのだが、そのあとまだ次のシーンがあり、「ああ、ここで終わりか」と思ったら、さらにまだ次がある。かなりしつこい。けど、この終盤の畳み掛けはすごい。

いやはや今泉力哉ってとんでもない監督だった。今回は女優目当てで見て、監督の名前を憶えた。

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