『ハロー・ワールド』藤井太洋(書評)
【4月4日 記】 僕にとっては全然知らない作家の全然知らない作品だったのだが、シミルボンの書評が目に入って、それがとても面白そうだったので読んでみることにしたら、これがまた期待以上に面白くてぶっ飛んでしまった。
ものすごく乱暴にカテゴライズしてしまうと、これは IT小説ということになるんだろうか? しかし、IT小説というネーミングから思い浮かべるのは、単に IT の専門知識を設定やストーリーに巧く組み込んだ小説である。
ところが、この小説の場合はそれだけではない。いや、むしろ面白いのはそこではないのだ。登場人物が誰も彼もとても魅力的なのだ。
主人公の文椎(ふづい)はバリバリのエンジニアではない。彼自身の表現を借りると、
そもそも僕に専門的な知識はない。ちょっとしたプログラミングとチームの管理、それにプロモーションや文書書きなどもやる何でも屋だ。
ということになる。ただし、彼は企業に属して(一応属してはいるのだが)与えられた仕事を淡々とやる人間ではない。会社の中では何でも屋として世界中を飛び回りながら、自身の人的ネットワークを通じていろんなことに手を出す。
そして、何よりも彼は正義感が強い。いや、反骨精神があると言ったほうが良いか。権力者が弱者の権利を奪って好き勝手するのを黙って見ていられない。そういうわけで彼は日本でも外国でも、意図せずにいろんな国の当局を敵に回してしまい、とんでもない厄介事に巻き込まれる。
それに対して彼は命がけで立ち向かう、わけではない。彼はそんなタフ・ガイ・タイプではないのである。自分の弱さは充分知っている。死ぬぐらいなら志は捨てる。しかし、彼の面白いところは、そこでただ黙ってすごすごと引き下がるのではなく、ほんのちょっとでも良いから“一泡吹かせてやろう”とするところである。
そこが読者にとって痛快なのである。
文椎の協力者たちもそれぞれ魅力的なキャラクターだ。超一流のプログラマーである郭瀬(くるわぜ)、後に帰化して日本人となる中国人女性の汪、文椎の勤務先の肝の座った社長である幾田、国際的な起業家の本多沙織。
皮肉なことに、彼らが優秀であるがゆえに、文椎はまたしても引くタイミングを失って泥沼に嵌っていく。そして、なんとかかんとか自力でそこから抜け出してくる。
小説を読んでいて、これだけ魅力的な主人公に会うのは久しぶりである。
IT小説と言っても、難しそうだと腰が引けることはない。エンジニアでもなく理系でもなくても、せいぜい僕ぐらいの知識があれば面白く読める(と言っても、これを読んでくださっている方には僕がどの程度のレベルなのかは分からないだろうけれど)。
5作が収められているが、僕はちょうどブロックチェーンの本と並行して読んでいたこともあって、最後の書き下ろしの『めぐみの雨が降る』が大変面白かった。
爽やかな未来が感じられる肯定的な小説である。
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