映画『洗骨』
【3月2日 記】 映画『洗骨』を観てきた。監督・脚本は沖縄出身の照屋年之──ガレッジセールのゴリである。
と言っても、お笑いタレントが突然メガホンを執ったわけではない。中退とは言え、日芸の映画学科(演技コースらしいが)だし、芸人になった後も短編映画を何本か撮って、受賞歴もある。
沖縄の離島に残る「洗骨」という風習を扱っている。それが何なのか、知っていても映画を見る妨げにはならないが、今回はただ、死者を弔う特殊な儀式とだけ書いておこう(ま、漢字を見れば想像もつくだろうし)。
死者は新城恵美子(筒井真理子)。遺されたのは夫の信綱(奥田瑛二)と息子の剛(筒井道隆)、娘の優子(水崎綾女)、そして信綱の姉の信子(大島蓉子)である。
信綱は妻の死からいつまで経っても立ち直れない酒浸りの毎日。剛は東京の大手企業に勤める「島の出世頭」だが、葬儀に同行した妻は居心地が悪そうだ。そして、棺桶にへばりつくようにして、途方に暮れて亡き母の髪を触っているのが美容師の優子だ。
この子どもたちが4年後に「洗骨」のためにまたここに戻ってくる。それぞれ、この4年間に新たな悩みを抱え込んで。
冒頭のシーンがなんだか硬くて、説明的な台詞があったり、わざとなのかやや棒読み風であったり、無理やり笑いを入れたような木に竹を接ぐ感があって、ちょっとどうなることかと思った。監督の慣れの問題もあったのかもしれないが、ひとつには(ゴリという先入観なく見ていても)やっぱりよしもと臭さ、と言うか、よしもとのノリがあって、それがうまく機能していない感じがする。
──などと思って見ていたのだが、いつの間にかそんな違和感は消えていた。よしもと的なギャグは随所に挿入されている。それがなくなったわけではないのだ。ただ、すべてがちゃんと転がり始めた感じ。
我々が普段から目にしている普通の棺桶だと思って見ていたらそうではなかったり、港から家まで楽に歩けるような普通の若い女性だと思って見ていたらそうではなかったり、カメラの寄りと引きを使い分けて却々巧い画作りをしたりしている。
沖縄の海や雲や日の出が美しいのは当たり前なのだが、庭のシーンや夜のシーンがとても印象に残ったりもする。良い映画である。
ストーリーも上手に編んであって、初めのほうで匂わせたものを順に回収して行く中、リズムを変える魚捕りの網のシーンが入ったり、スクーターのおばさんや日用品店のおばさんら、脇役も手加減良く絡ませてある。登場人物として途中から投入される鈴木Q太郎がよく効いている。とても面白い。
いや、面白いと言ってもコメディではない(随所で笑えるのも確かではあるが)。よーく人間が描かれている。一人ひとり、丹念に。そして、よーく土地が描かれている。死と生が衒いなく描かれている。
最後のシーンは観ていて力が入りまくって体が硬直してしまった(笑)
水崎綾女という名前も顔も記憶にあったが、はて何で観たっけ?という感じだったのだが、大きいところでは河瀨直美監督の『光』に出ていた(永瀬正敏に次ぐ2番手)ようだ。でも、あの映画での記憶はないな(嫌いな監督だとそんなもんかw)
この映画での記憶はちゃんと残りそうな気がする。それは、僕がこの映画を気に入り、この監督を高く評価した証左でもあるのだろう。
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