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Sunday, March 03, 2019

映画『九月の恋と出会うまで』

【3月3日 記】 映画『九月の恋と出会うまで』を観てきた。

元々はテレビ制作会社を経てフリーの助監督として長年働いてきた人だからかもしれないが、山本透という人は監督と助監督を行ったり来たりしている。

今作は監督だがその前の『億男』では助監督。その前の『私に××しなさい』は監督だが、その前の3作『曇天に笑う』『プリンシパル』『亜人』では助監督。その前の『猫なんかよんでもこない』では監督、『アンフェア』では監督補、『夫婦フーフー日記』や『永遠の0』では助監督だった。で、僕が最初に観た彼の監督作は、そのさらに前の『グッモーエビアン!』(2012年)だった。

この映画は「物語は…その恋を見つけた日から始まる」という、なんだかヤワで少女趣味な一節で始まる。ちょっと嫌な予感がした。でも、見終わるとこの冒頭がうまく繋がってくる。

最初に書いておくとこの映画は、分類としてはタイム・リープやタイム・パラドックスを扱った SFものではない。これはラブ・ストーリーである。100%ラブ・ストーリーで塗り固められたベースにタイム・リープという設定が、ストーリーを転がすための道具として投げ込まれたに過ぎない。

主人公は北村志織(川口春奈)。旅行代理店に勤めている。趣味はカメラ。

志織は権藤(ミッキー・カーチス)が所有する一風変わったアパート(庭付きの洋館)に越してくる。そこには多くの芸術家が住んでいるが、志織と同じように芸術家でもなんでもないただの会社員の平野進(高橋一生)も住んでいた。

ある日、志織が部屋にいると男の声が聞こえてくる。自分は未来の平野進だと名乗り、「僕を助けると思って、現在の僕を尾行してくれ」と頼む。とりあえず彼の予言したことが次々と実際に起こるので、未来から呼びかけているというのは信じるしかないにしても、尾行する理由を聞いても「今は言えない」としか言えない。

そこから志織の尾行生活が始まる。でも、恋の物語が動き出すのは、突然その声が途絶えてしまったのをきっかけとして、志織が現在の平野にそのことを打ち明けた日からである。

会社勤めをしながら実は SF作家を目指していた平野はその辺りの話に詳しく、このまま放って置くとタイム・パラドックスが起きてしまうので、時代はそれを修正するために志織の存在を消してしまうかもしれないと言う。

そこから2人は志織の死を避ける方法を求めて共同作業を始める。もうお分かりのように、この時点で2人はすでに恋に堕ちている。でも、はっきりと認識はしていないし、はっきりと口にする勇気もない。

かなりクラシックな恋の形だが、ともかく良い話なのである。恋愛映画だからハッピー・エンドだということは予想がつく。それにしても後口の良い終わり方だった。

高橋一生がどこまで行っても高橋一生で、この人は高橋一生にしかなりきれない気がする。だが、それが良いのである。見ていた女性の観客はきっとキュンキュン来ただろう。

志織は28歳の設定だが、川口春奈本人は今年24歳になったばかりである。とても可愛くて、テレビや映画にそこそこ出てはいるのだが、あんまりブレイクした感じがない。今作がそのきっかけになれば良いと思う。

志織が平野を尾行するシーンでも敢えて志織に明るい目立つ色の服を着させた辺りから、作り手が何にこだわってこの映画を作っているのかが伝わってくる。歩いていたらいきなりシャボン玉が飛んでくる突拍子もない設定もそうだ。

この映画は徹底したラブ・ストーリーで、しかも心温まる作品である。だから、それで良いのではないかと思う。

映画館はガラガラに近い寂しい入りだったが、僕は良い映画だと思った。

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