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Sunday, March 31, 2019

故・萩原健一さんに

【3月31日 記】 3月26日に萩原健一が亡くなっていた。近親者で葬儀を執り行ったあと発表された。

世代によってザ・テンプターズだったり、『太陽にほえろ!』だったり、『傷だらけの天使』だったり、『前略おふくろさん』だったりするのだろうけれど、僕が一番語りたいのは PYG である。

隆盛を極めたグループサウンズ(GS)ブームが下火になり、その3大バンドから2人ずつ実力のあるメンバーが結集したのが PYG だった(実は他にもうひとりメンバーがいたようだが)。

音楽と流行の間でどことなくインチキ臭い位置づけだった GS から、漸く本物の音楽をやるグループが生まれた、と僕は熱狂した。

GS が出てきたとき、当時の大人たちはこぞって「下手だ」とこきおろした。僕の父もそうだった。歌や演奏が上手いか下手かなんて全然分からない小学生だった僕たちはその大人たちの言葉を信じた、と言うか、大人たちによって決定的な先入観を植え付けられたわけだが、しかし、今聴き直してみるとこれがちっとも悪くないのである。

僕らの親の世代が「歌が上手い」と言うのは例えば音楽学校を卒業した淡谷のり子とか、小さい頃から神童と言われた美空ひばりとかだった。沢田研二や萩原健一の歌は、そういう人たちと比べると少し違うが、そもそもそういう人たちと比べるのが間違っているのだ。

沢田研二は後に日本ポップス界を代表する実力歌手になったが、GS の時代の歌を聴いても、その声のハリと伸びやかさは非常に気持ちが良い。

そして下手だ下手だと言われたいろんなグループの演奏も、今聴くと決して悪くない。もちろんレコーディングではいろいろ細工もできるだろうし、そもそもメンバー以外が演奏しているなんて場合もあったのかもしれない。

でも、聴き直してみて僕は、岸部修三(現・一徳)のベースは捨てたもんじゃないと思うし、加橋かつみや森本太郎のコーラスワークはきれいだと思うし、GS解散後ロック界の名プレーヤーとなった人がたくさんいることからも、無下に下手だというのは言いすぎだと思う。

だいいち、僕らの親の世代はあのビートルズでさえこき下ろしたのである。そこで植え付けられた先入観によって僕は、作曲能力はともかくとして、その演奏に関して、ジョージ・ハリスンやリンゴ・スターのことを下手だとずっと信じてきたのだった。そして、ビートルズ解散後何年か経ってからその間違いに気づいた。

随分逸れてしまった。話を元に戻そう。

PYG の寿命は短かった。5枚のシングルのうち、僕が憶えているのは『花・太陽・雨』と『自由に歩いて愛して』だけだが、後者は昭和を代表する楽曲と言っても良いと思っている。ものすごくタイトでビート感溢れる演奏。そして、ショーケンとジュリーのコーラスワークの妙。

確かにあまり売れなかった。あまり受けなかった。でも、昭和の日本のミュージック・シーンを語る上で、これは避けることのできない楽曲だと思う。

訃報に添えられる形でいろんな記事が出た。萩原健一が音楽をやめて役者一筋に方向転換したのは PYG のメンバーであり、彼の生涯の盟友となった井上堯之が一時期ギターをやめていたことと深い繋がりがあったことを知って驚いた。

でも、そのことがあって、結局ショーケンは俳優として花開き、上述のテレビドラマ3作をはじめとして、皆の記憶に残る存在になった。

ここでも僕個人としての思い出を書いておくと、役者・萩原健一で一番印象に残っているのは神代辰巳監督の『青春の蹉跌』だった。当時まさに青春の真っ只中にいた僕は深い感銘を受けた。そして、この映画が人生で初めて映画館に2度観に行った映画になった。

あまりに早い死が残念でならない。とても大きな存在だった。

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