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Thursday, February 28, 2019

映画『翔んで埼玉』

【2月27日 記】 公開初日から大ヒット中の映画『翔んで埼玉』を観てきた。

僕は今は東京に住んでいるとは言え、大阪生まれ大阪育ちの基本関西人なので、埼玉に対する謂れなき差別意識などは持っていない。いや、と言うか、東京人が埼玉や千葉を悪しざまに言うのも、単におちょくると面白いからおちょくっているだけのことなんじゃないかな。

これは関西においては大阪人が奈良や和歌山をおちょくるのと同じである。いや、それどころか、ここまでネタ化すると、埼玉県人が埼玉を、奈良県人が奈良をディスるという自虐ネタにもなる。

昔、社内の奈良(しかも、奈良市内ではなく、語弊があるので書かないが、とても田舎の地区)出身者2人が、

「お前んとこには駅前に公衆電話ないやろ?」
「あるわ。こないだできたんじゃ。お前んとここそ、こないだまで律令政治やってたんとちゃうんか?」

などと罵り合っていた(上記は実際に交わされていた会話であるw)のを思い出す。

で、これはそんな映画なのである(って、何のこっちゃ、と思うかもしれないが)。ともかく馬鹿馬鹿しいのひと言。

でも、その馬鹿馬鹿しいネタが途切れることなく上手に繋ぎ込まれて、湯水のようにお金を注ぎ込んで、エキストラも特機も CG もフルに導入して、役者たちがそれぞれ目いっぱい針の振り切れた演技をすることによって、こんな馬鹿馬鹿しい大作になるのだ(なんだ、やっぱり馬鹿馬鹿しいのかい、と言われるとその通りだが)。

ともかく脚本の勝利。原作があるとは言え、よくできたギャグだ。東京に虐げられる埼玉、埼玉にライバル意識を燃やしつつ東京に阿り、一方で埼玉の裏をかこうとする千葉、そして、東京と同盟する神奈川という構図が面白い。

ともかく化粧と衣装(と言うか、これはもう扮装である)が激しいので誰が誰か分からない。都知事の娘ではなく息子を演じる二階堂ふみはさすがに判るが、その高校の同級生が GACKT だったとは見終わって初めて気づいた。武田久美子も小沢真珠も判らなかった。

加藤諒や麿赤兒や、僕の大好きな神戸浩など、強烈な個性の役者をあちこちに配して、京本政樹がトレードマークの目張りばっちりで、設定は現代なのに完全に時代劇をやっているのがおかしい。

さすがに東映だけあって、時代劇と実写ヒーロー物の歴史と実績がこの映画に見事に活かされている(って、ウソ。でも、そう言われたらそんな気がしてくるでしょ?)

映画が終わった瞬間に、隣にいたカップルの女性のほうが、「ひどいー。わたし、これから埼玉に帰るんだよぉ」と笑い転げていた。これはそういう映画である。果たして彼のほうはどこに帰るんだろうか?

ちなみに、「この映画は関西人でも笑えるのか?」との問いをあちこちで見かけるが、まあ、少なくとも何年か東京に住んでいたとか、近県に住んで東京に通っていたという人でないとニュアンスが解らず、面白さは半減、下手すると四半減してしまうだろう。

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