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Friday, February 15, 2019

『彼女は頭が悪いから』姫野カオルコ(書評)

【2月15日 記】 (普段はできるだけネタバレを避けて書いているのですが、今回は多少ネタバレ気味の要素が入ってくるかもしれないなと、文章を書き始めた今の時点で思っています。もし、そうなっていたら、これから読む人、ごめんなさい)

醜悪なタイトルである。5人の東大生にマンションに連れ込まれて強制猥褻(強制性交ではなく強制猥褻であるというところにも深い意味がある)の被害に遭った女子大生の話である。そこに至るまでの悲惨な経緯が書かれている。

この筋立てと重ねて読むと、このタイトルはなおさら醜悪なものとなる。

作品ごとに作風が変わると言われている姫野カオルコだが、この小説ではルポルタージュ風に書き下したところが見事に奏功している。

実際にあった事件に着想を得て書かれたらしいので自然にそうなったのかもしれない。あるいはこの小説を書くまでに、ルポルタージュの取材のような作業があったからかもしれない。でも、僕はそれだけではないと思う。作者は知っていたのである──このような書き方が一番読者の体の中にすんなりと入っていくのだということを。

しかし、それにしても東大生に対して何か私怨があるのかと思うほどの書きっぷりである。いや、罵詈雑言は浴びせていない。冷静に彼らの育ちと心理を分析しながら、結果的に東大生のおぞましさを静かに暴く形になっている。

僕の周りには、勤務先の社内にも、あるいは今まで仕事で関わってきた社外のいろんな人たちの中にも、東大卒の知人はたくさんいる。彼らがみんなここに出てくるような奴らだとは決して思わないのだが、それでもこの小説は少なからずポイントを突いている気もする。

読みながら僕が思ったのは、これを東大卒の人が読んだらどう感じるのだろうかということ。そして、うん、彼らは全員余裕かましてこれをスルーするだろうな、というのが僕の見立てであった。

この小説では東京大学とお茶の水女子大学という実在する大学が2つ出て来る。この小説はある意味東京大学の特殊性を描こうとしているわけだから、東大は実名でなければならない。一方、お茶の水女子大学のほうは、ストーリーに深くからんでくる人物は描かれておらず、言わばブランドの高い女子大のアイコンとして扱われているだけである。

それに対して、被害に遭った女子学生がいた水谷女子大学は小説家が作った固有名詞であり、彼女のような(東大やお茶の水に比べれば)「頭が良くない」婦女子の通うところとして描かれているので、これは何が何でも偽名でなければならなかった。

もしも、これを実在する大学名を借りて描いたなら、大学当局や卒業生からかなりの反発があるだろう。いや、被害者の大学だけではなく、加害者の大学を東大ではない別の名門校にした場合も、同じく炎上の危機にさらされると思う。たとえ学生たちは笑って読んでいたとしても、OB会などがヒステリックな反応をしてくる可能性もある。

でも、東大だけは、いくらこんな醜悪な学生たちを描いても、決して束になって抗議を申し込んできたりはしないだろう。「東大って、何かと言うと目の敵にされちゃうんだよね。それを甘んじて受けるのも僕らの仕事だと思うよ」みたいなことを言う卒業生も決して少なくないのではないだろうか?

そして、作者はそのことをじゅうぶん分かって書いたのだと思う。そこがこの小説の実は一番堅い芯のような気がする。著者は決して実際にあった事件を取材して憤怒の炎に燃え、正義感を振りかざしてこの小説を書いているのではないと僕は感じた。

事実、ここで描かれている東大生たちがこのような犯罪に手を染めてしまった一番大きな陥穽は、彼らが「頭の悪い」女子大生がどのような受け取り方、感じ方をして、どのような思考を経てどのような行動に出るかを毫も理解できなかったというところなのだ。

その部分を深読みすると、この小説は逆に加害者の東大生たちを養護したものであるという特殊な読み方もできることになる。

さて、小説というものは、出版されるまでの段階で、書き手である小説家がその力量を問われることになる。しかし、一旦出版されてしまうと、今度は力量を試されるのは読み手のほうである。あるいは力量と言わず人格と言ったほうが良いのかもしれないが。

僕はこの小説を、何かを糾弾したり、不正を正したり、警鐘を鳴らしたりしたものだという読み方はしたくない、と言うか、実際にしなかった。

僕らはみんな何かを部分的に見聞きして、何かを部分的に理解する。そして、見聞きしなかった残りの部分には気がつかず、理解できなかった残りの部分は放置される。ここで描かれたのは、その残りの部分の存在にさえ全く気がつかなかった人たちの悲惨な末路である。

醜悪なタイトルの醜悪なストーリーだが、結構洞察が深い上に、仄かな救いもある。とても面白かった。もちろん、僕らの見聞きして理解したものが全てではないように、この小説の読み方もこれが全てではないと思う。

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