どう?
【2月12日 記】 「それで学校はどうだ?」──小さい頃にそんな質問をされて困惑した記憶がある。久しぶりに会った親戚のおじさんとかから、「何年生になった?」という質問に続けて。
いや、親戚のおじさんやおばさんばかりじゃなくて、普段子供の日常生活になんかほとんど見向きもしていなかった父親にも、突然「ほんで、学校はどやねん?」などと訊かれたことがあったように思う。
「どやねんって何が?」と思うのだが、訊いた方はどうやら「楽しい」などと答えてほしがっているように見受けられる。でも、どうと訊かれても、学校はひと言で言えるほど単純な場所ではない。
学校は楽しいところでもありしんどいところでもある。どっちの要素のほうが多いかを比較してどちらか一方に結論付けるのは間違っている。──と、子供の頃にそこまで明確に考えてわけではないが、なんとなくそんな感じでいたのは確かだ。
それにそもそも学校は楽しいから行くものでもしんどいから行かないものでもない。自分の意志や感じ方とは何の関係もなく、まず行かなければならないところだから行くのである。──子供ながらに(と言うか、あまり子供らしい無邪気な存在ではなかったからかもしれないが)、僕はそういうことを基本的な認識として持っていた。
それをどうかと訊かれても困るのである。どうだったらどうだと言うのだろう?
逆に、不用意に訊いて「楽しくない」と言われたらどうするんだろう? 楽しくなくても学校には行かなければならないのである。「楽しい」と言われたら、「そうか、それは良かったな」「何が一番楽しい?」などと会話が進むのだろうが、「つらい」「行きたくない」などと答えられたら、それを聞いた大人はどう対処するのだろう?
よく似たことは会社に入ってからもある。たとえば、今や OB となったかつての上司や先輩が何かの用事で会社に現れて、たまたま僕を見つけて、「最近どうよ?」などと訊く。これもそもそも「何がどうよ?」と思ってしまう。今北産業じゃあるまいし、そんなもの簡単に答えられるわけがない。
あるいは会社のとても偉い人(例えば専務取締役とか)が新入社員に向かって、「どうだ、会社(仕事)は楽しいか」などと訊く。
会社も学校と同じで、楽しいから行く、つらいから行かないというものでもない。まず働いて生計を建てなければならないのだ。仕事は楽しいからするものではないし、会社はともかく行かなければならないから行くところなのだ。
──最近の若い社員にはそんな認識はないのかもしれないが、僕らの頃はそうだった。僕らの時代、一旦勤めた会社を辞めるということは、「辛抱の足りない落伍者」の烙印を押されることを意味していた。今みたいに「転職を重ねてキャリアアップ」なんて発想は誰も持っていなかった。
そんな時に「会社(仕事)は楽しいか?」などと訊いてはいけない。だいいち、そんな偉い人が新入社員に訊いて、「楽しくないです」「つまらないです」と答えられる若者がどれほどいるか考えれば分かりそうなものだ。そんな質問はコミュニケーションとは言えないのである。
仮に訊かれたほうがフランクに答えられたとしても、そもそも会社は楽しいところであり、つらいところでもあるのだ。そんなことを訊いても何の意味もない──と僕は思う。
だから、僕は子供ながらにテキトーに(あるいは不機嫌に)かわしていた。そんなことをするもんだから余計に変わった子供だと思われたのだろうけれど。
そんな子供が全ての学校を卒業していつしか大人になり、長い会社勤めも今や最終コーナーに来ているのだが、僕は「学校はどうだ?」とか「仕事は楽しいか?」とか、そんな質問を自分の人生で誰かにしたことなんかついぞないし、しようと思ったことも一度もない。
人生って、どうとは言えないことの連続なんじゃないのだろうか。
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