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Saturday, February 16, 2019

映画『フォルトゥナの瞳』

【2月16日 記】 映画『フォルトゥナの瞳』を観てきた。贔屓の三木孝浩監督。

死期の近づいた人間の体が透けて見えるという特殊な能力を持った人の話。病魔に侵されている場合だけではなく、出会い頭の事故で死ぬのまで分かってしまうとなると、それはもう SF を超えて荒唐無稽の領域に入ってくる。

そういう設定は僕はあまり好きではないのだが、でも、三木孝浩監督なのだから仕方がない。ただ、原作者が誰なのかを事前に知っていたら、もう少し見るのを躊躇したかもしれない(笑)

予告編を何度も見すぎたこともあって、そういう超能力をめぐる冒険譚かミステリと思っていたのだが、実際に観てみるとこれは全然そんな映画ではなく、如何にも三木孝浩監督らしい堂々たるラブ・ストーリーである。

そういう意味であの予告編はミス・リードなのだが、意図的なミス・リードであったということが見れば分かる。

いつも感じることだが、この監督はカメラワークが素晴らしい。どのカメラマンと組んだ時も素晴らしいのだが、今回は何度もコンビを組んでいる山田康介が撮影監督を務めている。

人の感情の動きに合わせてカメラは止まったり、滑らかに動いたり、大きく速く動いたり、仰ぎ見たり見下ろしたり…。手前の有村架純を画面から外しながら神木隆之介に寄ったり、車の塗装工場の床においた低い位置のカメラで工場の入り口に立つ神木を逆光の中にはめ込んだり…。

本当にきれいな画だし、そこに意味を感じる構図なのである。同じシーンを神木の側からと有村の側からと、2つの方向から撮って、映画の前半と後半で2度描くような工夫もあった。

そして、今回は主演の神木と有村にかなり微妙な表情の芝居をさせている。そして、2人とも監督の期待に見事に応えている。そして、カメラワークがそれを地味ながらしっかり増幅するのである。

今回は坂口理子と三木孝浩の共同脚本なのだが、台詞が見事に自然なのも驚いた。悩んでいろんなことを言う神木を斉藤由貴が受けるシーンなどはその最たるもので、決して設定を説明してストーリーを進めるための道具に堕ちることなく、自然な人間の反応が描かれている。

さて、この映画については1つの仕掛けが施してあるので、ストーリーについてあまりネタバレを書くわけには行かない。残念なことに僕はかなり早い段階でこの映画の仕掛けをほぼ完璧に読み切ってしまったのであるが、それでも面白かった。

何故それでも面白かったかと言えば、それは見始めてすぐに、「お、これは三木孝浩の青春ラブ・ストーリーなのだ」と気づいて、それからはずっとその視点で観ていたからなのだろうと思う。

客の入りは良くなかった。でも、やっぱり僕はこの監督が大好きだし、この作品も非常に良い映画であったと思う。監督がインタビューで『賢者の贈り物』を引き合いに出しているのに驚いた。やっぱり、この監督はラブ・ストーリーの監督である。

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