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Thursday, January 10, 2019

起きられない子

【1月10日 記】 日本生命の CM を見ていて思い出した。今ネットでも評判になっている、清原果耶が女子高生を演じているあのCMである。彼女を優しく見守っているお父さんが実はもう亡くなっていたことがラストで判るあの CM である。

あの CM の一番長尺のバージョンの初めのほうで、清原果耶が学校に遅刻しそうになって、「どうして起こしてくれなかったのよ」と母親に当たるシーンがある。母親は「何度も起こしたわよ」などと言う。

同じような光景が我が家でも週に何度かあった。

僕ではない。僕は小さい頃から今に至るまで寝起きが非常に良くて、大体は目覚ましがリッと鳴った瞬間に起きている。今は目覚まし時計というものは使っていないが、昔は新しいのを買いに行くと必ず「できるだけ音の小さなやつ」(秒針が無音で、アラームがうるさくない、または音量を自在に調整できるやつ)を探して選んでいたほどだ。

僕が目にしていたのは姉と母のやりとりである。起きられなかったのは姉で、ほぼ上記の CM と同じだった。姉は「なんで起こしてくれなかった」と怒り、母はあの CM の母ほど穏やかではなく、何度起こしても起きなかった娘に対して時に逆ギレしていた。

そんな姿を日常的に見ていて、僕はふと思ったのである。

どうして姉は起きられないのに母は起きられるのだろう?
どうして子どもは起きられないのに大人は起きられるのだろう?

と。

僕らの時代はどんな親であろうと大抵は子どもより早く起きていたものだ。早く起きて朝食を作り、お弁当を作っていたものだ。起きられない親なんてものは聞いたことがなかった。

今の時代なら起きられない親も少しはいるような気もするが、でも、あの CM が共感を呼ぶのはあそこで描かれている父親と母親の像がある部分理想的である半面、ある部分は普遍的であるからだと思う。

つまり、今の時代でも大抵の親は子どもよりも早く起きているはずなのだ。

ならばどうして起きられない子どもはたくさんいるのに、起きられない親は(あまり)いないんだろうか?

ここまで読んでくださった方は、このあと多分僕なりの推論なり結論なりが書いてあるのだろうと思っておられるかもしれないが、残念ながら僕の話はここまでで終わりである。というか、そこから先の僕の推論は立っていないのである。

あの頃から時々そのことを思い出して考えたりしたのも確かではあるが、それはきっとこういうことだろうと思い当たる節があったことはまだ一度もない。

ただ、年端も行かない小学生の時分にそんなこと、つまり、起きられない子どもはいるがその親は大抵ちゃんと起きているという事実に気づいたのは我ながら見事な観察眼であり、素晴らしい着眼点であると思う。

そして、そこから今に至るまで、「要するに心構えの問題であって、起きる気がありさえすれば誰だって起きられるんだ」みたいな単純な精神論に安易に性急にたどり着かなかった自分のことを偉いなとも思う。

と言うか、それが僕の考え方であり、世の中での在り方、自分のポジションなんだなと、しみじみと考えたりするのであった。

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