紅白
【12月21日 記】 NHK『紅白歌合戦』を見なくなった。テレビ局に勤務しながら最近めっきりテレビを見なくなったということも背景にないではないが、もっと昔の、まだ人一倍テレビを見ていた時代から、この番組については見なくなってしまった。
それはこの番組が“権威”ではなくなってしまったということなのかな、と思う。
昔は『紅白』の人選にブツブツ言いながら見ていた記憶がある。個人的な体験としては多分1967/1968年辺りのグループサウンズが最初ではなかったかな、と思う。
NHKは長髪でチャラチャラした服を着てやかましい音楽を奏で、女の子に歓声で迎えられ、たまに舞台上で失神して倒れたりする GS を良しとしなかった。だから、ザ・タイガースもザ・テンプターズもオックスも『紅白』には選ばれなかった。
ただ、長髪のメンバーがおらず、髪を七三に分けて、どちらかと言うと背広っぽい衣装で演奏し、日本レコード大賞を受賞したジャッキー吉川とブルーコメッツだけは選ばれた。僕はそれを憎んだ。その優等生的な発想に強い嫌悪感を覚えた。
逆に、もともと GS に反感を持っていた姉は、『青い鳥』や『廃虚の鳩』のような歌を歌い始めたザ・タイガースを「『紅白』に出たいがために教訓的な歌を歌って NHKに媚を売っている」と毛嫌いした。
いずれにしても、あの当時『紅白』に選ばれるというのは歌手にとって大変な栄誉であり、ファンが歌手を評価する基準でもあった。でも、レコードの売上だけではなく、人間の主観が混じる評価軸で出場者を選別して行くのは難しいことだ。必然的に一部の出場者は一部の視聴者の反感を買うのである。
僕は、昔はどれだけ大ヒットしたか知らないが、今は歌番組にも全然出てこない演歌のベテランが出てくるのが許せなかった。あと、水前寺清子をはじめ何人か嫌いな歌手がいて、その歌手の出演時間を狙ってお風呂に入ったりもした。
でも、逆に言うと、番組そのものに対してはそれほどの期待と執着があったということである。嫌いな歌手が出ている間にカラスの行水をして、それ以外はしっかり見たいのであった。「なんであんな奴が選ばれているのか?」と不満を覚える裏には「この番組は日本一の権威であるはずだ」という思いがあったはずだ。
ところが、音楽そのものの多様化と、音楽に対する趣味の多様化がどんどん進んで、NHKの人選について次第に多くの視聴者がより大きな違和感を抱くようになってしまった。どの年代、どの層の視聴者もNHKの人選はおかしいと感じるようになってしまったのだ。
そんな状態になってからもう何年もが過ぎたと思う。そして、NHK もきっと呻吟していると思う。でも、NHK の工夫は結構裏目に出ていると思えてならない。それでも NHK は毎年いろんな工夫をしてくる。そしてだんだんわけが解らなくなる。もう昔の権威は取り戻せないだろう。
普通に選ばれて歌うのと、「特別企画」として歌うのと、その違いは何なんだろう? いや、そこに違いを設けようとする意図は何なんだろう。──その辺りの違和感が年々拭えなくなる。
僕はそのうちにごく一部の好きな(と言うか、今年見たい)歌手だけを見るようになった。でも、それも次第になくなってきて、ここ数年では1秒たりとも見なかった年もある。
インターネットの環境に慣れ、オンデマンドの時代になると、目当ての歌手が出てくるまで何度もチャンネルを合わせながら気長に待つということができなくなってきたこともある。評判になった部分だけを翌日以降ひょっとしたらどこかのサイトで確認できる可能性が出てきたということもある。
で、他人事(他社事?)ながらちょっと思うのである。うーん、『紅白』はこれから先もずっと、昔からのこの形態を引きずって小さな企画変更を重ねて行く形で良いのだろうか? そろそろ白黒をつける時期に来ているのかもしれないな、と。
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