元号の理屈
【11月21日 記】 僕は元号をできるだけ使わずに西暦で書くようにしている。
別にイデオロギー的な反発があるわけでもなかったのだが、元号が法制化されたときの理屈づけにカチンと来たからである。
あのとき政府は元号を法制化するに際して、日本人の87.5%だか何だかが元号を使用しているという事実を根拠にした。──それはおかしな話である。もしも既に国民生活に充分浸透していると言うのであれば何ら法制化する必要などないはずではないか。
現状の利用率が何%であったにせよ、政府としてはそれに満足できず、もっと強制力を以て元号を浸透させたいからこそ法律を作るのである。
僕はその欺瞞的な論理を耳にして怒り心頭に発した。だから、それ以降、できるだけ元号は使わないようにしている。
とは言っても、自分の生活から元号を排除しようというほどのものではない。単に自分からはあまり元号を使わないようにしているという程度のものだ。でも、結局そのほうが、元号が2つにまたがったときの計算がやりやすいということもある。
ところで、最近気になっているのは、僕の運転免許証には「平成33年の○月○日まで有効」と書かれている点だ。平成33年が存在し得ないことは既に確定している。なのにこういう書き方が放置されていて良いのだろうか?
もちろん、平成33年は次の元号の2年と読み替えられて、行政上何の支障もなく物事は進んで行くのだろうとは思う。
しかし、「馬鹿か、お前は? そんな存在しない期限を書いた免許証なんか無効に決まってるだろう。元号が変わった瞬間にパーなるんだよ。どうしてそのタイミングで更新に行かなかったんだよ?」と言われたとしたら、そっちの理屈のほうが正しいような気がする。
この元号の読み替えについては、なんか法律全体に及ぶ基本的な法律の条文にでも明記されているのだろうか?
世の中なんだか理屈に合わないことが多いように思う。
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