映画『ハード・コア』
【11月25日 記】 映画『ハード・コア』を観てきた。いやもうほんとに、べらぼうな映画である。
権藤右近(山田孝之)は定職にもつかず、ゴミ溜めみたいなボロ・アパートに住んで、しょっちゅう酒を飲んでは生来の一本気が災いしてケンカばかりして、弟の左近(佐藤健)にいつも尻拭いしてもらっている。
左近は立派な商社マンだが、自分の生活に充実感は感じてはいない。兄とは考え方も感じ方も正反対だが、それでも酔いつぶれた兄を引き取りにバーに来たり、母親に頼まれて汚いアパートに様子を見に行ったりしている。
牛山(荒川良々)は、ある風の強い日にこの街にふらりとやってきて、今では廃墟になっている化学工場の跡地で起居している。「あ」とか「う」とかしか言わないのだが、どうやら言わないんじゃなくてろくに喋れないらしい。
右近と牛山はは国粋主義の活動家・金城(首くくり栲象)に拾われて、番頭・水沼(康すおん)の下で徳川埋蔵金発掘のアルバイトをして、月に7万円もらっている。右近はいつも牛山を庇い、女を知らない彼になんとか経験させてやりたいと躍起になったりしている。
そんなある日、牛山は自分の住む化学工場の廃墟でロボットを見つける。これがもう、なんというか1960年ごろの SF に出てきそうな代物で、外見を見る限りそんなものがまともに動くことさえ信じられないのだが、コンピュータに詳しい左近によると、NASA や Google でも開発できなかった先進の AI であるらしい。
で、右近と牛山はロボットにロボオという名前をつけて、翌日から服を着せて埋蔵金発掘現場に連れて行く。
って、一体どんな話やねん!て思うでしょ? 一体頭のどの辺りがそんなことを考えるのか?と不思議になるでしょ?
オリジナルかと思ったら漫画の原作があった。しかし、この映画、山下敦弘監督でなければ一体誰が撮る? 山下監督の盟友・向井康介でなければ一体誰が脚本を書く? という、まさにそういう作品である。
その2人が異口同音に「これは『真夜中のカーボーイ』だ」と言う感覚も凄いと思うが、僕は『リアリズムの宿』に近い作風だと感じた。
そして、演じている連中がこれまた凄い。
荒川良々は今までにも何度か見た荒川良々の引き出しのうちの1つではあるが、今回はほとんど喋らない。これがまたおかしい。そして、何かにつけて大きく目を見開いてびっくりしている様がこれまたおかしい。そして哀愁を誘う。
そのほとんど喋らない荒川と、全然喋らないロボオの芝居を受けて、山田孝之がコミカルな芝居をしているかと言うとそうではなく、終始苦み走っている。だからこそおかしい部分もあるし、彼の苦悩がストレートに伝わってくる部分もある。
そして、唯一座標軸がずれていない存在として弟役の佐藤健がいるわけだが、兄とは違ってエリートの弟の、彼なりの、彼ならではの不満であり焦燥感というものが非常によく描かれており、兄との微妙な関係も面白い。
そこへ来て番頭の康すおんが絡んでくる。この人、今まであまり出番の多い脇役はなかったが、今回は出代たっぷりで強烈な印象を残した。そして、彼の出戻り娘役の石橋けいもこれまた強烈だった。
山下監督は対談の中で、居酒屋で兄弟が喧嘩するシーンで何か引っかかる人はこの映画に乗れるけれど半笑いで観てしまう人は多分ダメでしょう、みたいなことを言っている。それを受けて山田孝之は、「そっちのほうが多いと思います。右近に同情する人は優しい人ですよ」と言っている。
佐藤健は、この映画の観客にひと言、と言われて「とんだ物好きですね(笑)。僕は物好きだし、孝之くんや山下さんもかなりマニアックな人たちだからいいけど、あなたもそれでいいのか?って言っておきたい(笑)。本当に大丈夫か?って(笑)」と答えている。
映画は突然終わる。なんと物悲しい幕切れか…、と思っていたら続きがあった。このシーンは映画のオリジナルらしい。
久々の真に山下敦弘らしい山下作品にどっぷり浸かって、溺れるまでの感興をそそられた。こういうセンスは凄いと思う。
ドラムスだけで構成した BGM が秀逸だった。
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