映画『エリック・クラプトン ~12小節の人生~』
【11月24日 記】 映画『エリック・クラプトン ~12小節の人生~』を観てきた。日比谷の TOHOシネマズシャンテは1席たりとも余らない満席だった。
この映画を観に来た人であれば知らないはずはないので、いちいち書く必要もないかも知れないが、サブタイトルは典型的なブルーズの形式である12小節のブルーズ・コード進行から来ている。
僕には昨日見たクイーンより、今日のエリック・クラプトンのほうが遥かに胸に沁みた。
僕がエリック・クラプトンを聴き始めたのはクリームからなので、ヤードバーズやジョン・メイオールのバンドの曲は後追いで知ったに過ぎない。いや、自分の頭の中で若干記憶が混濁してしまっているが、クリームも実は後追いのはずだ。
なにしろ僕が生まれて初めて自分で買ったレコードが『バングラデッシュのコンサート』だったのだから。
あの伝説のコンサート、あの伝説のレコードの中で、クラプトンをバックにジョージ・ハリスンが歌うのを聴いたのが多分最初だろうと思う。While My Guitar Gently Weeps のギター・ソロがめちゃくちゃカッコよかった。
初めて彼を知った瞬間からずっと、僕ら当時の音楽少年たちは、今に至るまで、彼のことをエリックではなくクラプトンと呼んできた。クリームのレコードに手を伸ばしたのはあの直後かもしれない。
でも、クリームを聴いて僕がまずぶっ飛んだのは、ジャック・ブルースの奔放極まりないベースであり、あんな複雑なフレーズを弾きながら歌うところであり、そして、ジンジャー・ベイカーのどこまでも疲れを知らない変幻自在のドラムスであり、クラプトンはむしろ地味な存在だった。
で、ブラインド・フェイスを経て、多くの人がそうだったと思うのだが、デレク&ザ・ドミノスの Layla の(これもひょっとしたら後追いで聴いたのかもしれないが)、あの前奏からいきなり転調してメロディに入るところで頭をレンガで殴られたようなショックを受けた。
でも、正直言って、I Shot The Sheriff 以降、Tears In Heaven まで、しばらく彼のことは忘れてしまっていた。その間に彼がとんでもない薬物依存症とアルコール依存症に陥っていたとか、息子を事故で亡くしたとかいうことは、彼が Unplugged で復活したあとに知ったことだ。
さて、映画の話に入るが、これはそもそもクラプトンが旧知の映画人であるリリ・フィニー・ザナックに、「死んだあとに変なものを作られるのが嫌だから」という理由で制作を依頼したものであり、ざっくり言ってしまうと、過去の写真と映像、音源と、クラプトンを含む関係者のインタビューで繋いだドキュメンタリである。
ただ、それにしてもよくもまあこんな写真や映像、そして音源が残っていたなあというものが続々と出てくる。ボブ・ディランがヤードバーズをテレビで見て褒めるところなんて、ほんとにびっくりした。
ジョージ・ハリスンの妻であり、いけないことだと分かっていながらクラプトンが好きで好きでどうにもならなくなったパティの肉声もたくさん収録されている。
で、こんなことを言ってしまうと身も蓋もないが、エリック・クラプトンというのはほんとうに弱い奴なのだ。どうしようもなくダメな奴なのだ。
でも、そんな弱い奴に、そんな彼の生い立ちや環境や偶然に起因する彼の苦悩に共感できるかどうか、というような問題じゃないように僕は思うのである。
僕には(多少複雑な家庭環境ではあったが)出生の秘密みたいなものはないし、薬物に手を出したこともないし、アルコールは飲めないし、親友の奥さんに横恋慕したこともなければ、子供を亡くした経験もない(と言うか、子供さえ作れなかった)。
でも、だから共感できるとか共感できないとかいうものではないのだ。
エリック・クラプトンの話に吉田拓郎を引用するのも我ながら妙だと思うが(とは言え、拓郎もかなりのブルーズ・マンではあるが)、吉田拓郎が『人生を語らず』で「越えてゆけそこを 越えてゆけそれを」と歌ったように、それはそれぞれの人にとっての「そこ」であり「それ」でしかないのである。
僕らは一人ひとり違う「そこ」や「それ」を乗り越えて行くしかないのである。
そんなことを、この映画を観ていて強く感じた。
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