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Sunday, October 21, 2018

映画『ハナレイ・ベイ』

【10月21日 記】 映画『ハナレイ・ベイ』を観てきた。村上春樹の短編集『東京奇譚集』に収められた原作を松永大司監督が映画化したもの。

何度も書いているように、僕は一度読んだ本でも観た映画でもすぐに忘れてしまう。

小説を読み終わって、ああ、面白かったと思って本棚に置きに行ったらそこに読み終えた同じ本があったとか、一度観た映画なのにほとんど終わりかけるまで真犯人が誰だったのか思い出さなかったとか...。

でも、部分的に何かを憶えていることはある。

この小説も、カウアイ島のハナレイ・ベイが舞台の、中年女性と若いサーファーの話で、確か短編集を通して幽霊がテーマだったかな、という程度の記憶しかないのだが、ただひとつだけ強烈に心に残っている箇所がある。

それは、中年女性がエルビスの話をしたら、若者はプレスリーではなくエルビス・コステロの話だと取り違えるところである。

僕にはなんだかそういうコミュニケーションの小さな齟齬が(良い意味でも悪い意味でも)象徴的な事象に思えたのだ。

今回はこのシーンだけが見たくて観に行ったようなものなのだが、見始めてすぐにこの映画にこのエピソードはないだろうと思った。

それは時代設定が2007年からの凡そ10年間に変えられていたからだ(この時代であれば、中年女性でさえプレスリーを知らない可能性がある)。

さて、もちろん映画を観ても原作の記憶が甦るわけではない。でも、こんな話だったかな?と思う。

ハナレイ・ベイで息子・タカシ(佐野玲於)がサーフィン中にサメに襲われて亡くなり、遺体を引き取りに来て以来、毎年同じ時期にここを訪れる女性・サチ(吉田羊)。そして、10年目の訪問で出会った2人の若い日本人サーファー高橋(村上虹郎)と三宅(佐藤魁、ちなみにプロのサーファーである)。

前半はほとんど吉田羊の独壇場である。そして、もうひとりの主役はハナレイの美しい景色。カメラマンは近藤龍人だ。

死んだ夫(栗原類)、死んだ息子の、決して甘い思い出とは言えない回想シーンをたくさん挟みながら、映画は静かに進んで行く。

途中から、亡くなった時の息子と同年代の若者との交流が、少しストーリーの舵を切る。

ただ、設定が単純なだけに、途中から急に重たくなってくる。サチがホテルの部屋で荒れる辺りがそのピークだ。

この話は(原作はあまり憶えていないくせに言うのも何だが)やはり舞台がハワイであるところがポイントだと思う。

暑いけれどカラッと晴れている。雨は時々降るが、ザーッと降ってカラッと上がる。あまりべっとりしない、気持ちの良い風が吹く。

ところが、主人公の哀しみが深まるにつれ、映画は日本の梅雨みたいなジメジメした空気を帯びてくる。

海辺をさまよう吉田羊のスカートの一部や、うなじから肩にかけての汗や、握りしめたペットボトルなどのドアップが続く辺りは、カメラ的には大変面白いのだけれど、でも、メンタルな面では日本的な気候になってしまっている。

これは困ったな、と思っていたら、終盤に漸く持ち直して映画は終わる。

まるっきり予想した通りの終わり方。探していたものは見つかるが、それは画面には映さない。

そう、その終わり方が一番適切だと思う。とても良い映画だったけれど、しかし、それにしてもこんな話だったっけ? テーマとなる音楽に『愛の歓びを』なんかを持って来たのはちょっと違う気がしたのだが、では原作ではどんな音楽が流れていたのだろう?

依然として何も思い出すことができずに映画館を出た。帰る途中、駅で、松葉杖をついて歩く片足の青年を見かけた。

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