映画『日々是好日』
【10月7日 記】 映画『日々是好日』を観てきた。
先日亡くなった樹木希林の遺作を先行ロードショーで観ようとやってきた人が多かったのだろうが、僕の目当ては大森立嗣監督である。
いきなり良いアバンタイトルだなあと思った。
時代は1990年代前半。典子(黒木華)と美智子(多部未華子)はともに二十歳のいとこ同士。典子は真面目で努力型で理屈っぽくておっちょこちょい。美智子は素直でちゃっかりしてて現実的で思い切りが良い。
その2人がひょんなことから近所に住む武田先生(樹木希林)のもとでお茶を習い始める。
そういう設定とストーリーの端緒を手際よく説明しておいて、2人が初めて武田家を訪れた時に、蟻壁に掛けてあった扁額が映る。そこに書かれてあった文言が「日々是好日」──そしてそれがアップになってそのまま映画のタイトルになる。
僕は「ひびこれこうじつ」かと思ったら「にちにちこれこうじつ」と読ませている。さらに調べてみると、これは黄檗宗の高僧の言葉なのだそうだが、そこでは「にちにちこれこうにち」と読ませていたりする。
漢文が苦手な人は意味が取りにくいかも知れないが、中国語の「是」は英語の be動詞だと思えば良い。つまり、 Everyday is a good day の意である。
そのあと for 何と続くのかは観た人それぞれの感性で解釈して構わないと思うが、ざっくり言ってしまうと、 Everyday is a good day for you to live through みたいな感じかな。
非常に残念だったのが、僕もこの年齢であるので、さすがにこういう感慨をある程度はすでに理解できる状態にあると言うか、そういう感慨がすでに僕の中にあるということだ。
この映画はまだそういう感慨とは無縁な若い人が観るのが良いと思う。中盤で今度は掛け軸になった「日々是好日」という文字を眺めながら、典子と美智子が「これ、どういう意味だろうね」と語るシーンがあるが、まさにそういうところから始めるべき映画なのである。
そして、この映画は2人がお茶を習い始めてから(美智子は途中で結婚して郷里に帰ってしまったが)24年間の月日を描いている。そして、明示的には語られないが、その月日を通じて典子の中にも日々是好日の感慨が染み込んで行く、いや、むしろ典子の中から湧き上がってくるのである。
この淡々とした描きっぷりを見よ。ほとんど劇的なことが起こらない。いや、人生の中では比較的劇的な事件だと思われている親の死や大きな失恋なども出てくるのだが、その一番辛い瞬間は敢えて映像にしていない。
カメラは無粋に動かず、不要に切り替わらない。
2時間弱の映画の大半は茶室のシーンである。茶室で水を汲む音、お湯を注ぐ音、茶筅を動かす音、そして外の雨音、滝の音、川のせせらぎ、潮騒、あの頃の電話の呼び出し音──いろんな音が観客の体内を通り抜けて行く。
宣伝文句にある「驚くべき精神の大冒険」とか「感動作」という表現はちょっと違うと思う。ここで得られる感慨はもっと静かなものである。
見終わった今はまだちゃんと解らなくても、何十年後かに少し分かってくるものだと思う。大森立嗣はよくここまで抑制した脚本を書いたものだと舌を巻いた。
しかし、それにしても、こう書くと悪いが、黒木華と並ぶと多部未華子の抜群の可愛さが目立って仕方がない。だからこそ良いのだろう。この配役が逆であったら、決してこの映画は成立しなかったと思う(僕はあくまで多部未華子が好きだけれどw)。
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