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Sunday, September 02, 2018

映画『寝ても覚めても』

【9月2日 記】 映画『寝ても覚めても』を観てきた。

twitter でこの映画の原作小説の著者である柴崎友香さんと少し絡んだのが最初だった。プロファイルを見て、作家だと知った。どんな作品を書いている人だろうと、ちょっと調べてみたら、保坂和志に似ているという記述があり、にわかに惹かれた。

そして、昔観た行定勲監督の『きょうのできごと』も彼女の小説が原作であったこと、さらに、映画観で予告編を見て気になっていた『寝ても覚めても』も彼女の筆によるものだと知った。

こんな風にいろんなものが繋がって、僕は彼女の芥川賞受賞作である『春の庭』を読んだ。面白かった。そして、確かに“保坂和志の線”だった。

『寝ても覚めても』については映画を観るのが先になったのだが、『春の庭』を読んだ後でこの映画の予告編を観ると、これはどう見ても“『春の庭』の線”ではない気がした。

あれはもっと淡々とした書きっぷりの小説だ。一方、この映画は別れた男と同じ顔をした男を好きになるという、かなりドロドロした話だ。

単に別れた男であれば、それほどドロドロはしないのかもしれない。しかし、この映画(小説)の鳥居麦はある日「靴を買いに行く」と言って出かけたままぷつりといなくなる。それだけに主人公の朝子は納得の行かないまま宙ぶらりんである。

映画では朝子を唐田えりかが、そして、朝子が一瞬にして恋に落ちた麦と、麦の失踪後に出会い、時間をかけて恋に落ちる丸子亮平の二役を東出昌大が演じる。麦との別れ方が別れ方であったから、亮平と出会ったときの深い困惑が上手に描かれていた。

この2人、顔は同じ(小説では「似ている」ということらしいが)だが、一方は若き日の『あまちゃん』に片思いする大吉みたいな好人物、他方はテレビ版の『散歩する侵略者』みたいな得体の知れない男である(この喩えを、僕は映画を見ながら思いついたのだが、帰ってきてパンフを読んだら、あながち的外れではなかったということが分かった)。

出会う順番が逆であれば、こんなことにはならなかったろう。最初に亮平に会い、亮平がいなくなってから麦に出会っても朝子の心はそれほど揺れなかったろう。だが、謎に満ちているが故に惹かれてしまった麦を一瞬にして失った後で、朝子は優しい亮平を知ったのである。

濱口竜介監督は前作『ハッピーアワー』で一躍注目を浴びた人だ。だが、内容的になんか小難しそう、かつ重そうだったのと、なんと言っても5時間17分という長尺に恐れをなして、僕はこの映画を観なかった。

今日初めて観て、ああ、こんなに巧い監督だったのか、と思った。田中幸子との共同脚本も見事で、台詞回しが本当に自然で無駄がない。

友だち4人で集まっているときに耕介(瀬戸康史)とマヤ(山下リオ)が演劇論を巡って口論になるところなんか、めちゃくちゃリアルでスリリングだった(これは原作通りなんだろうか?)。そして、対面キッチンの向こうから、掛ける言葉も思いつかずにただ見つめている朝子と、言葉巧みにその場をおさめてしまう亮平の対照の妙。

東日本大震災の部分は監督の強い思いがあって、映画化するにあたって付け加えたのだそうだが、これも取ってつけた感はまるでなく、ストーリーの中でも決して浮くことなく、きっちりと組み合わさって機能している。

監督は原作小説を「細密な日常描写と、突然訪れる荒唐無稽な展開」と分析しているが、これが映画になると、台詞も怖いが画も怖くなる。

最初のほうのシーンで、麦が出かけるときに麦が振り返ったと想定した目線でどんどんカメラが引いて行くのが、如何にも彼がいなくなりそうで怖い。そして、終わり近いシーンで、小雨の中、ビニール傘を放り出して土手を走って逃げる亮平と、同じく傘をかなぐり捨てて亮平を追いかける朝子の2人を、点景的に収める画の美しさと力強さ。

恐らく麦が載っているであろう自動車から、こっちに向かって手を振っている朝子の姿が遠ざかる画も印象的だった。僕はこういう風に奥行きのある画を撮る監督が大好きである。

他にも単車の事故の場面で、それを真上から押える構図自体は珍しくもないが、その構図のままストーリーを進める辺りは、非常に手練手管な感じがした。

さて、映画も終盤に差し掛かったころ、僕は「多分もう一波乱あるんだろうけれど、このまま終わっても一向に構わない」と思った。このまま終わったらなんと後口の良い恋愛映画だろう、と。

案の定、そこからまだ一波乱あったのであるが、でも、苦々しいようで決して堕ちるところまで堕ちないエンディングが用意されていた。素晴らしい終わり方だ。人間が生きて行くことっって、結局はこんな感じなのではないかな。

埼玉生まれの東出、千葉生まれの唐田、同じく千葉生まれの伊藤沙莉(この女優は僕のお気に入りである)の一生懸命練習したことが伺える関西弁が(もちろんネイティブには若干の違和感が残るのだが)総じて心地良かった。

そして、朝子の親友・春代(伊藤沙莉)が、あの過酷な場面で、朝子に対してひとりだけ他の皆とは違う反応を示すところがものすごく感慨深かった。

良い映画だった。そして、原作も読みたいと思わせる映画だった。恐らく印象の異なるところがあると思うのだが、そういう点への期待が妙に高まるのである。

恐らく一人ひとりにとって、いろんな麦や亮平や朝子がいる気がする。

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