書き直しの効能
【9月23日 記】 文章を書いてみて、一応書き終えたつもりなのだけれど、どうもあんまりうまく書けていない気がする、なんてことは誰にでもあることだろうし、僕の場合もしょっちゅうある。
それで、時間がある場合はそこからさらに一生懸命こねくり回したりするわけだが、それで文章がすっきりと締まってくることはめったにない。で、結局は仕方なく無理やりそこで「完成品」にしてしまうわけである。
9/15 に「内田けんじと上田慎一郎」のタイトルで書いた文章もまさにその類だった。
で、この文章に書いた内容については、facebook にも上げておきたいと思った。ちなみに、僕は、ブログは不特定多数の皆さんへの、facebook は少数の直接的な知り合いへのメッセージだと思っている。
だから、同じテーマで書く場合も通常は別の文章を認めることにしている。
ブログの読者層は、こちらからは全然見えないのだが、facebook の「友達」についてはなんとなく傾向が見える。①『カメラを止めるな!』を観た人は相当多い。②たくさん映画を観ている人も何人かいるが、そういう人はそれほど多くはない。
そういうわけで、facebook のほうは映画についてあまり分析的にならず、あまり細かいことを書かず、『運命じゃない人』と『カメラを止めるな!』の類似点に絞って書こうと思った。
それで書いてみると、ブログに書いた文章よりはるかに整理がついていて分かりやすい。考えてみれば、書き直したら整理がつくのは当たり前である。それで、結局その文章を facebook に上げた後、それをまるごとコピペして、元のブログの文章に上書きしてしまった。
それが今の記事である。
同じようなことは「『寝ても覚めても』柴崎友香(書評)」と題した文章でもあった。
だらだらと書いてみたのだが、読み返してみると全くもって散漫である。まあ、でも、これも結局ブログにアップした。
その後、こちらについては twitter でもつぶやいておこうという気になった。twitter は 140字が限度なので、当然書き換えるしかない。で、書き上がったのが以下のツイートである(文言は少し変えてあるが)。
『寝ても覚めても』の映画と原作を、その順番で鑑賞した。映画のほうは日常生活が突然の荒唐無稽な展開でズタズタにされるところに焦点を置いてるのに対して、 柴崎友香さんの小説のほうは、ベロンと裏返ってもそれが日常になってしまうところに主眼があって、そこが怖いと思った。
そう、僕が言いたかったのはそういうことなのである。
こんなにまとまりが出るのだから、元の文章を捨てて書き直すのは良いことである。たくさん書くとついつい捨てるのが惜しくなるものだが、今後はできるだけ捨てて書き直すようにしたい。
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