映画『きみの鳥はうたえる』
【9月29日 記】 映画『きみの鳥はうたえる』を観てきた。僕が知らなかった監督、三宅唱。
最初に感じたのはそれぞれのカットの長さ。所謂「長回し」で役者に切れ目なく芝居をさせるという感じでもない。むしろ「カメラは1台しかないんだし、あんまり面倒なことはしない」みたいな感じを受ける。
でも、それがそんなに悪くない。凝った構図でも何でもないが、それが意外に悪くない。
会話のシーンでは話している俳優のアップに順番に切り替えたりするのが一般的だが、この映画では据え切りのカメラで喋っていない人物を捉え、左右のフレーム外から2人の俳優に会話させたりしている。それはそれで面白い。
この映画は佐藤泰志の小説を原作としており、他に彼の小説を原作としている映画として『海炭市叙景』『そこのみにて光輝く』『オーバー・フェンス』がある。
『海炭市叙景』は観ていないが、なるほど他の2本とは共通性がある。しかも、それらはいずれも菅原和博という、函館シネマアイリスという映画館を経営している人物が映画化を企画したのだと言う。
舞台は(映画の中で明示的には語られないが)函館である。北の街の短い夏の物語である。少し寂れたところもある函館の街明かりの色合いが良い感じだ。特に夜のシーンが良い。
佐藤泰志は函館出身の作家であるが、この原作小説は東京が舞台だったらしい。それをここでは現代の函館に置き換えたのである。現代に置き換えたことによって、小説が書かれた時代には存在しなかった iPhone が小道具として使われる。
登場人物は2人の男と1人の女。佐藤の小説の中にもこのパタンは多いらしいが、映画においても『太陽がいっぱい』『俺たちに明日はない』『冒険者たち』『恋のゆくえ ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』など枚挙にいとまがない。
恋愛を基準に考えると1人余ってバランスが崩れた状態であり、その重心が少しずつずれる予兆がある──そういう男女の組合せを、ここでは柄本佑、染谷将太、石橋静河が演じている。
「僕」(柄本佑)はいい加減で、行き当たりばったりで、時として暴力を振るう。だが、裏表がなくて、物へのこだわりも少なく、妙な楽天性がある。
その「僕」の同居人・静雄(染谷将太)は失業中。持病のある母のことも心配だし、仕事がない自分のことも心配。なのにあまり考えずにブラブラと遊んでいるように見えるが、「僕」と違って非常に几帳面で優しい男である。
「僕」のバイト先の同僚である佐知子(石橋静河)は、最初は店長(萩原聖人)と怪しげな関係だったが、自分から「僕」にアタックして「僕」を飲みに誘い出す(面倒くさくなった「僕」は結局待ちぼうけを食わすのだが)。
函館の街の表や裏でこの3人がつるんで、夜通し酒を飲み、ビリヤードやダーツに興じ、クラブで踊ったりラップを聴いたり、ほとんどそんなことばかりが描かれている映画である。
でも、そうこうするうちに、3人の重心はやはり動き出し、それが周りの人間関係にも影響を与えたりする。
そういうストーリーに何があるのかと言われると僕にもよく分からない。この終わり方も「おいおい、頼むよ。そんな形で僕ら観客を放り出すのかよ」という終わり方で、その分僕らはいろんなことに思いを致すのであるが、何がどうだと問われるとうまく答えられない。
でも、これで良いのだと思う。
学校教育というものは本来、たったひとつだけ存在する正しい答えを見つけ出す訓練と、答えがどこにあるのか結局わからないことを考える訓練を教え込むものだと僕は思っている。それがつまりは数学と国語なのだが、その国語によくある「作者が一番言いたかったことは何か?」という悪弊以外の何ものでもない出題文を許さないのが、この映画である。
僕らはこの映画に接して答えのない答えを考え始める。そして、パンフレットを読むと、自分以外のいろんな人のいろんな感じ方や思いに触れることができる。
三宅唱監督は「佐藤泰志が小説で描いた『生の輝き』を映画で表現しよう」としたと書いている。染谷将太は函館の「ニオイ」というキーワードでこの映画を語っている。相田冬二は「みずみずしい」という形容詞で映画を分析した。
詩人の文月悠光は3人の関係を玉突きのゲームに例えている。止まっている球がぶつかってきた球に動かされて、それが止まっていた別の球に衝突し、またその球を動かす。──この喩えは見事だと思う。
柄本佑と染谷将太が巧いのは今さら言うまでもないだろう。石橋静河は『夜空はいつでも最高密度の青色だ』があまりに鮮烈で、逆にそれだけで消えてしまうのではないかと思ったが、あのときより演技力を確かなものにしている。
ラストシーンの表情にそれが一番表れている。一色ではなく、いろんなものが混ざった表情。
今回の台詞の中には役者のアドリブによるものも少なくないと見たが、やっぱり脚本が用意した言葉の鋭さが目立つ。そして、あれには振付けがあったのか石橋静河の即興だったのか、彼女のダンスがとても良かった。
さらに音楽が素晴らしい。頭がクラクラするような複雑なリズムの組合せが大好きだ。実はこの映画の音楽担当の Hi'Spec(SIMI LAB の DJ/トラックメイカー)はかつて三宅監督に記録映画を撮ってもらったことがあるのだそうだ。
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