目からポケモンが剥がれた
【9月6日 記】 人間の多様性というものについては生きていく中でいろんなところで不断に再確認することになるのだが、先日はポケモンGO でそのことを思い知った。
ポケモンGO をやらない人もたくさんいるだろうから、あんまり細かいことを書いても仕方がないので、概略だけを書く。
ポケモンGO は街を歩いて「ポケットモンスター(ポケモン)」を収集するゲームである。ポケモンの種類は何百も、いや、多分 1,000種類以上あるはずだ。で、捕まえたポケモンを育てたり、そのポケモンを使って「バトル」をしたり、といろんな遊びのバリエーションがある。
そして、プレイヤーがある一定のレベルに達すると、他のプレイヤーと「フレンド」になったり、お互いのポケモンを「交換」したりできるようになる。
それは別にやりたくなければやらなくても良いのだが、頑なにそれを避けているといろいろ無駄が出たり、そのままでは先に進めなくなったりもする。
僕はポケモンGO をやっていることを別に隠してはいなかったが、あまり誰とも交流することなくずっと独立独歩でやってきた。それが上記のような状況になったものだから、会社の後輩とフレンドになった。
で、フレンドの仲良し度が上がってきたところで、今度は逆に彼からポケモンを交換してほしいと言われた。
しかし、急にそんなこと言われても、僕のほうには交換に出せるようなポケモンは1匹もいない。
僕がそう言うと、彼は「そんなに厳選しているんですか!」と驚く。驚かれて僕も驚く。
僕は原則として獲ったポケモンを各種類1匹ずつキープしている。そして、そこから「進化」させることによって別種になるポケモンは、その時を想定して2匹手許に置いている。
ポケモンを保有する数には限度があるので、3匹目以降は「博士に送って」しまうが、獲った種類のポケモンが手許に1匹も残らない状態は作らない。
ところが彼は、「グレードの低いポケモンは全部すぐに処分してますから」と言う。彼の言う「グレードの低い」が具体的に何を指すのか定かではないが、強いポケモンか、レアなポケモンか、あるいは自分好みのポケモンだけを集めているということだろう。
僕は驚いた。ポケモンの基本は収集ゲームではないか? ポケモンを獲るのは「収集」のためであり、最終的な目標は「網羅」ではないのか? それがマニアの「道」ではないのか?
だから、僕はどんなに弱いポケモンであっても、どんなに貧相なポケモンであっても、どれほどザラにあるポケモンであっても、必ず手許に1匹は残している。
それを惜しげもなく切り捨てて特定のポケモンだけを集めている人がいるとは知らなかった。いや、強烈に強い種類のポケモンを何匹も何匹も集めて、ともかくバトルに勝つことを最高命題にしている人がいるのは知っている。
でも、彼のリストを見ると、そこまでの感じではない。ならば人は誰しも網羅を目指すものだと僕は信じていた。それがマニアの歩むべき道であると、それは今でもそう思っている。
でも、ポケモンGO をやっているのはマニアの求道者だけではないのだ! もちろん、遊びにはいろんな楽しみ方があって良い。でも、これは本当に目から鱗であった。
Comments
おはようございます。
フレンド希望。ポケモン仙台でやってます。
知り合いがほとんどいないのですが、快適な生活を送っています。こちら方面にお立ち寄りの際は、ご連絡ください。
Posted by: 仙台のM | Friday, September 07, 2018 09:35
> 仙台の M さん
フレンド申請いただきました!
Posted by: yama_eigh | Saturday, September 08, 2018 10:27