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Tuesday, September 18, 2018

短絡考

【9月18日 記】 日本は短絡国家になったな、とふと思った。

短絡国家というのは僕の造語である。いや、別に国家権力を持ち出す必要はなくて、単に短絡的な発想をする人が増えたな、ということなのだが、なんだか国中にそういう人が溢れかえっているような気がして、ついつい国家などと言ってしまう──これもある種、自分の中にある短絡なのかもしれないが、と自戒を込めておこう。

ともかく、「いや、ちょっと待てよ」と言う暇(いとま)がない。「そうは言っても」と考え直す習いがない。「そんな単純なもんじゃないでしょ」と言わせない流れがある。

政府の悪口を言う奴は「反 日」と断罪する。昔は、政府の悪事を暴き、政府の権力を制するのがジャーナリズムの役割だった。──そういう考え方自体も短絡ではないか、と言われればそれもそうだが、その短絡を正すために逆の短絡に振れてしまっては意味がない。

発言や文章の途中にある表現に引っかかってしまって、一歩も先に進めない。意味というものはあくまで全体から生じるものだという認識がない。──なんてことを言うとすぐに、「どんなひどい文章でも最後まで読まないと何も言えないと言うのか?」などと怒られる。それも短絡である。

僕は、高等教育というものは、短絡的な発想から脱し、複雑なものを複雑なまま捉えられるようになるための訓練だと思っている。

もう少し詳しく言うと、複雑なものを一旦解体して分析し、その上でさらにそれを元の形に再構築し、再び複雑なものを複雑なまま全体像を捉えられるようになるための訓練である。

だから、面倒くさいのだ。でも、この面倒くささに諦めがつくことが最初の一歩だと思う。

時間をかけるということを、我々はもう一度学び直す必要があるのではないだろうか。そのためには(ことが教育全体に関することだから)ほんとは国家の力も借りなければならないのだが。

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