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Sunday, September 30, 2018

日本の鉄道は時間に正確

【9月30日 記】 外国から来た人は日本の鉄道の時間の正確さに驚くという。確かにそうだ。日本では電車はほぼ時刻表の通りに来る──と僕も思っていた。だが、東京は少し違う。

統計を取って平均値を出せば、東京の鉄道の正確さは他県他地区の鉄道より劣るだろう。

もちろん東京の乗務員が怠惰だと言うのではない。東京は路線が長すぎるのだ。

なぜ我孫子の信号機故障で成城学園前の電車が遅れるのか? どうして川越の人身事故で元町・中華街の電車がホームを出発しないのか?

相互乗り入れに次ぐ相互乗り入れで、路線が長くなりすぎている。その長い路線のどこかで何かがあると、それは長い路線全体に波及するのである。

路線が延びた恩恵に浴して端から端まで行く人は良いのだが、中抜けでちょっと乗る人にとってみれば、聞いたこともない駅の近所でのアクシデントが今自分に影響しているというのは、まるで江戸の敵を長崎で討たれるような気分である。

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Saturday, September 29, 2018

映画『きみの鳥はうたえる』

【9月29日 記】 映画『きみの鳥はうたえる』を観てきた。僕が知らなかった監督、三宅唱。

最初に感じたのはそれぞれのカットの長さ。所謂「長回し」で役者に切れ目なく芝居をさせるという感じでもない。むしろ「カメラは1台しかないんだし、あんまり面倒なことはしない」みたいな感じを受ける。

でも、それがそんなに悪くない。凝った構図でも何でもないが、それが意外に悪くない。

会話のシーンでは話している俳優のアップに順番に切り替えたりするのが一般的だが、この映画では据え切りのカメラで喋っていない人物を捉え、左右のフレーム外から2人の俳優に会話させたりしている。それはそれで面白い。

この映画は佐藤泰志の小説を原作としており、他に彼の小説を原作としている映画として『海炭市叙景』『そこのみにて光輝く』『オーバー・フェンス』がある。

『海炭市叙景』は観ていないが、なるほど他の2本とは共通性がある。しかも、それらはいずれも菅原和博という、函館シネマアイリスという映画館を経営している人物が映画化を企画したのだと言う。

舞台は(映画の中で明示的には語られないが)函館である。北の街の短い夏の物語である。少し寂れたところもある函館の街明かりの色合いが良い感じだ。特に夜のシーンが良い。

佐藤泰志は函館出身の作家であるが、この原作小説は東京が舞台だったらしい。それをここでは現代の函館に置き換えたのである。現代に置き換えたことによって、小説が書かれた時代には存在しなかった iPhone が小道具として使われる。

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Thursday, September 27, 2018

OVO

【9月27日 記】 ある程度年を取ってから、と言うか、もっと分かりやすく書くとここ数年ということだが、僕はときどきいくつかのクラウドファンディングのサイトでいくつかのプロジェクトを支援してきた。

リターンを期待して、というのももちろんあるのだけれど、新しい何かをやろうとしている人を支援したいという気持ち(つまりそれが、ある程度年を取ってからの心境である)もあってのことだ。

一番最近の事例を挙げると、TSUTAYA の T-SITE がやっている GREEN FUNDING で支援した「USBにつなぐだけ! 映画館の感動を完全再現するポータブルスピーカー誕生 Made in TOHOKU 『OVO』」である。

なんと、このプロジェクト、7000人超のサポーターから 9000万円以上の資金を集めてしまった。

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Monday, September 24, 2018

映画『響 -HIBIKI-』

【9月24日 記】 映画『響 -HIBIKI-』を観てきた。月川翔監督。

まず驚いたのはアヤカ・ウィルソン。僕はちゃんと名前を憶えていた。いやぁ、大人になったね、きれいになったね。思えば『パコと魔法の絵本』はもう 10年前か。

それは、ま、措いといて、この映画も漫画が原作。昨年のマンガ大賞受賞作品。15歳の女子高生・鮎喰響(あくい ひびき)が圧倒的な小説を書いて、芥川賞と直木賞をダブル受賞する話。

響は自分の考えを曲げない。馴れ合いやごまかしを許さない。許せない相手に出会ったり、暴力的な恐喝に遭うと、相手が暴力を振るう前にこちらから暴力に訴える。

若者に特有、と言うよりも、それを極端化した独善で、しかも暴力を振るうというのは良くない。褒めるべきことではない(月川監督もその辺りの表現に苦心したと言っている)。

ただ、響の場合は一時の激情に流されているのではなく、彼女の中で完全に理屈が通って整合性が取れている。そこがこの天才少女のすごいところである。

で、その響を演じたのが欅坂46の不動のセンター・平手友梨奈。

この辺りの大集団アイドル・グループになってくると僕はほとんど顔と名前が憶えられないのだが、『サイレントマジョリティー』や『月曜日の朝、スカートを切られた』は大好きな歌で、ああ、あのショートヘアの娘か、と思う。確か、紅白歌合戦で過呼吸を起こして倒れたうちのひとりだった。

秋元康は東宝からオファーがあって原作を読み、これはまさに平手友梨奈自身ではないか!?と驚いたと言う。確かにそのとおりだと思う。この映画の成功はまさにこのキャスティングにあったと言って良い。

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Sunday, September 23, 2018

書き直しの効能

【9月23日 記】 文章を書いてみて、一応書き終えたつもりなのだけれど、どうもあんまりうまく書けていない気がする、なんてことは誰にでもあることだろうし、僕の場合もしょっちゅうある。

それで、時間がある場合はそこからさらに一生懸命こねくり回したりするわけだが、それで文章がすっきりと締まってくることはめったにない。で、結局は仕方なく無理やりそこで「完成品」にしてしまうわけである。

9/15 に「内田けんじと上田慎一郎」のタイトルで書いた文章もまさにその類だった。

で、この文章に書いた内容については、facebook にも上げておきたいと思った。ちなみに、僕は、ブログは不特定多数の皆さんへの、facebook は少数の直接的な知り合いへのメッセージだと思っている。

だから、同じテーマで書く場合も通常は別の文章を認めることにしている。

ブログの読者層は、こちらからは全然見えないのだが、facebook の「友達」についてはなんとなく傾向が見える。①『カメラを止めるな!』を観た人は相当多い。②たくさん映画を観ている人も何人かいるが、そういう人はそれほど多くはない。

そういうわけで、facebook のほうは映画についてあまり分析的にならず、あまり細かいことを書かず、『運命じゃない人』と『カメラを止めるな!』の類似点に絞って書こうと思った。

それで書いてみると、ブログに書いた文章よりはるかに整理がついていて分かりやすい。考えてみれば、書き直したら整理がつくのは当たり前である。それで、結局その文章を facebook に上げた後、それをまるごとコピペして、元のブログの文章に上書きしてしまった。

それが今の記事である。

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Saturday, September 22, 2018

映画『食べる女』

【9月22日 記】 映画『食べる女』を観てきた。

いやぁ、ものすごくよく練れた脚本。この映画の中身に関連付けて喩えるなら、ミンチと野菜を手で丹念にこねたワンタンの具みたいな、いや、違うな、もっと繊細な和食の感じ。

原作も企画も脚本も筒井ともみ。僕が初めて彼女の脚本の映画を観たのは 1985年の『それから』(森田芳光監督)。あのときはなんだか変わった本を書く人だと思った。最後に観たのは 2006年の『ベロニカは死ぬことにした』。あれも変わった映画だった。

今回は初めてオーソドックスに彼女の力量を知った気がする。この映画にも、多少浮世離れした人は出てくるが、みんなとても魅力的なのである。

メインの登場人物は女性だけで8人。そのうちの4人については、それぞれの恋や性の相手が5人出てくる。それに関係ない男が一人。2冊の原作小説ではバラバラの話だったのを、映画化を前にひとつにまとめたらしい。

それだけに入り組んだ関係なのだが、この8人が8人ともしっかりと描き分けられてくっきりとキャラが立っている。ドラマの中でどのひとりも無駄になっていない。会話が自然で、しかも、良い台詞が満載である。

「おいしいごはんを食べている時といとしいセックスしてる時が、いちばん暴力とか差別から遠くなる」

あ、そう言えば、他にもセックスと食事を並べて描いた映画があったなあと思うのだが、それが何だったか思い出せない。

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Thursday, September 20, 2018

『寝ても覚めても』柴崎友香(書評)

【9月20日 記】 映画を先に観た。だから、どうしても映画との比較が感想の中心になってしまう。

濱口竜介が監督を務めた映画はかなり原作を書き換えていた。和歌山が北海道に変わっている、とか言う話ではない。へえ、こんなに違うのか、と思うほど、根本的に変わっている部分がある。

もちろん、長編小説を映画化する場合、通常はそのままでは劇場用映画のスタンダードである 2時間前後の枠には収まらない。

だから、長い原作の一部分を切り落として(あるいは逆に一部分を切り取ってそれを)映画化するか、それとも設定や進行を書き換えて捻って繋げるみたいなことをするか、通常はその両方をやることになる。

ただ、これくらい大きく触ると、原作者によっては激怒する人もいるんだろうな、と思うほど、いろんなところが、と言うより、いろんな面で原作とは違うものになっている気がした。

冒頭から言うと、麦と朝子の出会い方からして全く違う。おまけに小説のほうはどうでも良い周辺の描写がいつまでもぐるぐる回って、却々先に進んでくれない。僕は(映画を観た後だったのでなおさら)読んでいて「よし、これでこそ柴崎友香だ!」と嬉しくなった(などと言いながら、実はまだ柴崎友香を読むのは2冊目なのだが)。

濱口監督は原作小説を「細密な日常描写と、突然訪れる荒唐無稽な展開」と分析している。なるほど、彼はそういう読み方をしたんだろうな。だから、ああいう映画になったのだと思う。

僕の感じ方は少し違った。確かに細密な日常描写と突然訪れる荒唐無稽な展開がそこにはある。ただ、濱口監督の映画では、その荒唐無稽な展開によってそれまでの日常はボロボロに破壊されてしまう。

それに対してこの原作小説では、荒唐無稽な展開の後、まるで何ごともなかったかのように、いや、と言うか、何があったって日常は日常だと言わんばかりに、やっぱり日常が戻ってくる。それが元の日常なのか新たな日常なのかは判らないが。

映画は荒唐無稽な展開に焦点を当てている。だから、怖い。

けれど、原作小説の重みは、僕はこのだらだらとした日常描写にあると思う。

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Tuesday, September 18, 2018

短絡考

【9月18日 記】 日本は短絡国家になったな、とふと思った。

短絡国家というのは僕の造語である。いや、別に国家権力を持ち出す必要はなくて、単に短絡的な発想をする人が増えたな、ということなのだが、なんだか国中にそういう人が溢れかえっているような気がして、ついつい国家などと言ってしまう──これもある種、自分の中にある短絡なのかもしれないが、と自戒を込めておこう。

ともかく、「いや、ちょっと待てよ」と言う暇(いとま)がない。「そうは言っても」と考え直す習いがない。「そんな単純なもんじゃないでしょ」と言わせない流れがある。

政府の悪口を言う奴は「反 日」と断罪する。昔は、政府の悪事を暴き、政府の権力を制するのがジャーナリズムの役割だった。──そういう考え方自体も短絡ではないか、と言われればそれもそうだが、その短絡を正すために逆の短絡に振れてしまっては意味がない。

発言や文章の途中にある表現に引っかかってしまって、一歩も先に進めない。意味というものはあくまで全体から生じるものだという認識がない。──なんてことを言うとすぐに、「どんなひどい文章でも最後まで読まないと何も言えないと言うのか?」などと怒られる。それも短絡である。

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Sunday, September 16, 2018

映画『愛しのアイリーン』

【9月16日 記】 映画『愛しのアイリーン』を観てきた。吉田恵輔監督。

いやはや、ひどい映画である。パンフの冒頭に企画・製作の河村光庸の言葉として「凡庸な『愛』の概念を打ち砕くこと」というフレーズが書かれているが、まさにその通りである。僕らの凡庸で希望的な愛の幻想は完膚なきまでに叩き壊される。

実際に金で女を買うような感覚でフィリピンに嫁探しに行く日本人男性もいるのだろう。その下心を承知の上で、ひたすら金欲しさからそれに応じるフィリピン人女性だっているんだろう。

そして、いろんな人がいる一方で、自分たちの価値観から外れたものを許容しない、狭量で固陋な日本人も山ほどいる。

宍戸岩男(安田顕)は42歳、独身。パチンコ店勤務。女性経験はほとんどない。とにかくセックスがしたくてしたくてたまらない。──これほどまでにおまんこという言葉が台詞になった映画が他にあっただろうか? わざとらしくモザイクを施す胡散臭さがたまらない。

岩男は両親と一緒に暮らしている。父親・源造(品田徹)はボケ始めている。母親のツル(木野花)は息子に嫁を取らせることに血眼になっている。そして、それが息子のためだと思ったら、どんなに息子が嫌がることでもやる。ヤクザも怖くないし、人殺しだってやりかねない。

岩男はいろいろあって(その部分はここには書かないので映画の序盤を観てほしい)このまま日本にいたって女にモテることもないしセックスもできないと一大決心をして、フィリピンのお見合いツアーに行く。

しかし、いっぺんに30人の花嫁候補と話すとなると、それは生涯で喋ったことのある女性の数よりも多くて、途中で疲れて根気が尽き、そのとき傍にいたアイリーン(ナッツ・シトイ)に「この子にする」と決めてしまう。

アイリーンはまだ10代。素直で明るく、岩男に好意を抱いているようにも見えるが、実は家族の貧困を救うための金づるとして岩男との国際結婚を選んだ。可愛いけれどしたたかな女だ。

そして、彼女は初めての経験は好きになった人としたいという意志が固く、徹底的に岩男を拒否する。岩男はあれだけやりたかったセックスができず、もはや何のために結婚したかも分からない。

おまけに、アイリーンを連れて帰国したら父親の葬儀が執り行われており、黙っていなくなったかと思えばフィリピン人の脳天気な花嫁を連れ帰った息子に怒り狂った母親は、2人を家にも入れてくれないどころか、今にも撃ち殺しそうな勢いである。

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Saturday, September 15, 2018

内田けんじと上田慎一郎

(『カメラを止めるな!』と『運命じゃない人』をご覧になっていなくて、これから観ようかと思っておられる方には、少しネタバレがあるのでお勧めしない記事です)

【9月15日 記】 上田慎一郎監督の次回作は『カメラを止めるな!』と同じ手を使って同工異曲を奏でるわけにはいかないだろうな、と思っていたら、内田けんじ監督の『運命じゃない人』(2005年)を思い出した。

あの映画は PFFスカラシップの資金で作られ、いきなりその年のキネ旬5位に輝いた。脇役として売れてくる前の中村靖日が主演だった。

今みたいに映画館の上映スケジュールの編成が柔軟でもなく、シネコンも少なかったから「200館に拡大」みたいなことにはならなかったけれど、僕が観た渋谷のユーロスペースは大入り満員で、国内で8つの映画賞を受賞して、カンヌでも上映された。

あの映画は3人の視点で3回繰り返して描かれた。2人目の視点で描かれた時には、1人目の人物が見ていなかったことや、そもそも1人目の人物がいなかったシーンが描かれていて、「なるほど!そういうことだったのか」と観客は膝を打つ。

その辺の構造は『カメラを止めるな!』と同じだ。そして、『運命じゃない人』がすごいのは、観客が充分楽しんだあとで今度は3人目の視点が出てくるところだった。

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Thursday, September 13, 2018

『徹底理解 ブロックチェーン』Daniel Drescher著、株式会社クイープ訳(書評)

【9月13日 記】 インプレスが出しているブロックチェーンの解説書である。

絶妙の比喩を使ってめちゃくちゃ解りやすいという話を聞いて入手した。著者は「はじめに」で「数学や数式は含まない」と宣言しており、Stepごとに確かに解りやすい比喩が用意されていてとっつきが良い。

それに、何かと言えばビットコインの話になってしまうブロックチェーンについて、まずはビットコインと全然関係のない概念説明から入っているところが良い。

と言うか、この本は最初から最後までブロックチェーン技術の概念を理解させるためのものなのである。

でも、逆に言うと、そこに落とし穴があるのも事実で、確かに最初は読みやすくてスルスルと頭に入ってくるのだが、数学や数式もなく比喩を使った概念の話が延々と続くと、やっぱり人は飽きてきて眠くなってしまったりするものである。

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Wednesday, September 12, 2018

SWEET 19 BLUES で火がついた

【9月12日 記】 8/31 に書いた『SUNNY 強い気持ち・強い愛』の映画評で、『SWEET 19 BLUES』の「出だしのコード進行が解らなくて遂に楽譜を買ったのだが、楽譜を見てもなお、この進行を理論的にはどう解釈すべきなのか分からない」と書いた自分の文章で自分に火がついた。

もう一度楽譜を引っ張り出してきて矯めつ眇めつしてみて、実際音を出してみて、さらに理論書まで読み返して、挙句の果てにネットでいろいろ検索してみたりもしたけど、まったくもって素敵なコード進行だ。

5連符✕4のチャラチャラとした前置きの1小節のあと、F ⇒ C ⇒ Dm ⇒ Am と1拍ごとにコードが変わる前奏最初の小節は(これはこれで、書こうと思えばいろいろ書けるのだが)とりあえず措いておいて、ここで取り上げたいのはメロディの出だしの2小節のコード進行。

F のキーでいきなり G の音で始まるのだが、こういうケースは別に珍しくない。その場合多くは所謂ツーファイブ Ⅱm7 ⇒ Ⅴ7 という進行になっている。この曲でも無理やりこのステレオタイプを適用して Gm7 ⇒ C7 という進行も可能だ。

4小節まで考えるとすれば、Gm7 ⇒ C7 ⇒ Am7 ⇒ Dm7 として、そのままツーファイブ進行して Gm7 に戻るというパターンもアリかなとも思うのだが、このメロディに当てはめると美しくないし面白くもない。

実際のコード進行は冒頭に Ⅱm7 ではなく Ⅱ の G を持ってきて、その後が E♭M7 である。これがなんとも不思議な取り合わせではないか。理論的にこうであると前後を明快に繋げる説明が(僕には)できない。

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Sunday, September 09, 2018

『From T』吉田拓郎

【9月9日 記】 僕もまたご多分に漏れず最近CD を買うことは少ない。本は本棚一杯分しか、CD は CDラック一杯分しか持たないと決めたこともあり、本は電子書籍、音楽はダウンロードになってきている。

しかし、吉田拓郎とムーンライダーズだけは仕方がないと思っている。どうしても“形”がほしいのだ。形あるものを所有したいのだ。

そういうわけで、吉田拓郎の3枚組『From T』を買った。発売の日に注文しようとしたら、Amazon は売り切れで在庫なし。買い占めたのか、買い占めた人から買ったのか、Amazon のページで他の業者が販売しているものしかない。

中には定価より高いものもあり、それを買うのも癪に障るので、Amazon に在庫が入るのを待って買った。

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Saturday, September 08, 2018

アフィリエイト時代の終焉

【9月8日 記】 自分のホームページで Amazon のアフィリエイトを始めるときに割合くどくど書いたのですが、そんなものを読んだ人はほとんどいないでしょうから、もう一度書きます。

僕はお金を稼ごうと思ってアフィリエイトを始めたわけではありません。

これを始めるときには随分悩みました。こんなつまらない文章を読んでもらった上に、広告をクリックしてくれた人からお金を取る(実際にはその人から取っているのではなく単にキックバックを受けているのですが)なんてことをしても良いのだろうか、と。

でも、結局のところなんで始めたかと言えば、ひとつには、アフィリエイトを使うのが著作権侵害になる惧れを払拭する方法だと思ったからです。

僕は放送局に勤めているのに、その著作権を護る立場の人間が自分のホームページやブログで著作権侵害の写真などを使っていてはシャレにならないと思いました。だから、どれだけ殺風景になろうとも、ほとんど文字だけのページにしようという覚悟はありました。

でも、書籍や音楽CD を紹介した文章などでは、やっぱり本の表紙や CD のジャケットなどの写真は添えたいという思いがありました。その場合にどこかから本の表紙や CD のジャケットの写真を取ってくることが許されるのかどうか、正確な知識はなかったのですが、「やっぱりそれはアカンやろ」と思ったわけです。

そんな時に、アフィリエイトという形を取れば、少なくとも僕自身には責任のないところで画像のリンクを貼ることができます。いや、アフィリエイトという形が世間で認められているということは多分その行為は著作権法の適用除外になっているはずです。

だから、その形でやろう、と考えたのが1つ目の理由。

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Thursday, September 06, 2018

目からポケモンが剥がれた

【9月6日 記】 人間の多様性というものについては生きていく中でいろんなところで不断に再確認することになるのだが、先日はポケモンGO でそのことを思い知った。

ポケモンGO をやらない人もたくさんいるだろうから、あんまり細かいことを書いても仕方がないので、概略だけを書く。

ポケモンGO は街を歩いて「ポケットモンスター(ポケモン)」を収集するゲームである。ポケモンの種類は何百も、いや、多分 1,000種類以上あるはずだ。で、捕まえたポケモンを育てたり、そのポケモンを使って「バトル」をしたり、といろんな遊びのバリエーションがある。

そして、プレイヤーがある一定のレベルに達すると、他のプレイヤーと「フレンド」になったり、お互いのポケモンを「交換」したりできるようになる。

それは別にやりたくなければやらなくても良いのだが、頑なにそれを避けているといろいろ無駄が出たり、そのままでは先に進めなくなったりもする。

僕はポケモンGO をやっていることを別に隠してはいなかったが、あまり誰とも交流することなくずっと独立独歩でやってきた。それが上記のような状況になったものだから、会社の後輩とフレンドになった。

で、フレンドの仲良し度が上がってきたところで、今度は逆に彼からポケモンを交換してほしいと言われた。

しかし、急にそんなこと言われても、僕のほうには交換に出せるようなポケモンは1匹もいない。

僕がそう言うと、彼は「そんなに厳選しているんですか!」と驚く。驚かれて僕も驚く。

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Tuesday, September 04, 2018

『迷子のコピーライター』日下慶太(書評)

【9月4日 記】 不思議な本である。商店街ポスター展の仕掛け人として大いに成功を遂げたコピーライターの本だと聞けば、(まあ、タイトルはちょっと変わってはいるが)多分広告のノウハウ本だと思う人が多いだろう。

ちょっと異色っぽい人のようだから奇を衒った書き出しをしたのかもしれないが、そのうちに「広告で忘れてはいけないたったひとつの原則」とか「コピーライティングの3つの要素」とかいうようなものが出てくるのではないかと思ったりするのだが、これが全くない。

出だしは自伝である。いや、小説である。いや、作者が自分のことを書いた文章だから自伝か小説かじゃなくて、つまり自伝小説なのだが、小説であることを強調したいのはそれだけ面白いということだ。

著者は電通に就職が決まってからユーラシア大陸横断の卒業旅行に行く。で、そもそも「おいおい」と嗜めたくなるくらい世の中を舐めているから、あちこちでひどい目に遭う。このひどい目に遭う記述が結構面白いし心配にもなる。そして、その一方で日本では知ることのできないきれいな景色も見る。

何度も痛い目に遭い美しいものに触れるうちに、視野が狭いくせに謙虚さを知らなかった若者も、次第に世界の大きさに気づき、その一方で自分に自信をなくし、ひいては広告というものに対しても懐疑的になってしまう。

なんとかかんとか帰ってきて無事に就職はしたが、「これでいいのか」という思いが強く、自分ひとりが浮いている。

でも、そこからが彼の才能なのか強運なのか、来た仕事をこなしているとなんだか知らないけれど大きな広告賞を立て続けに獲ってしまう。

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Monday, September 03, 2018

日本ポップス史をめぐる“家宝”

【9月3日 記】 全284ページにぎっしりコンテンツが詰め込まれた『昭和歌謡職業作曲家ガイド』を、1字たりとも読み飛ばさず、一日で一気に読んでしまった。

別に昭和歌謡が好きだというわけではない。つまり、明治・大正の音楽はどれも好きになれないとか、平成の音楽には悉くついて行けないとか、そんな風に昭和と他の時代の音楽を切り分ける気は全くない。

ただ、僕の青春期がすっぽりと昭和という時代に収まっているというだけのことだ。青春とは何歳までを言うのか知らないが、一番音楽を聴いていた、結婚する少し前までの時期がすっぽり昭和に嵌っているというだけのこと。

そして、それがたまたま広い意味での歌謡曲の黄金期でもあったというだけのこと。

つまり、僕は昭和に興味があるわけではなく、日本のポップスの変遷に興味があるのである。一時ホームページのほうにも掲載していたが、僕の卒論のタイトルは『ニュー・ミュージックの新展開』である。

今回買ったこの本は、そんな流れの中で、僕にとっての“家宝”となった。

さて、以下に今までに手に入れた“家宝”を並べてみる。まずは書籍(一部の雑誌の特集号などを含む。単体の楽譜は除く)。

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Sunday, September 02, 2018

映画『寝ても覚めても』

【9月2日 記】 映画『寝ても覚めても』を観てきた。

twitter でこの映画の原作小説の著者である柴崎友香さんと少し絡んだのが最初だった。プロファイルを見て、作家だと知った。どんな作品を書いている人だろうと、ちょっと調べてみたら、保坂和志に似ているという記述があり、にわかに惹かれた。

そして、昔観た行定勲監督の『きょうのできごと』も彼女の小説が原作であったこと、さらに、映画観で予告編を見て気になっていた『寝ても覚めても』も彼女の筆によるものだと知った。

こんな風にいろんなものが繋がって、僕は彼女の芥川賞受賞作である『春の庭』を読んだ。面白かった。そして、確かに“保坂和志の線”だった。

『寝ても覚めても』については映画を観るのが先になったのだが、『春の庭』を読んだ後でこの映画の予告編を観ると、これはどう見ても“『春の庭』の線”ではない気がした。

あれはもっと淡々とした書きっぷりの小説だ。一方、この映画は別れた男と同じ顔をした男を好きになるという、かなりドロドロした話だ。

単に別れた男であれば、それほどドロドロはしないのかもしれない。しかし、この映画(小説)の鳥居麦はある日「靴を買いに行く」と言って出かけたままぷつりといなくなる。それだけに主人公の朝子は納得の行かないまま宙ぶらりんである。

映画では朝子を唐田えりかが、そして、朝子が一瞬にして恋に落ちた麦と、麦の失踪後に出会い、時間をかけて恋に落ちる丸子亮平の二役を東出昌大が演じる。麦との別れ方が別れ方であったから、亮平と出会ったときの深い困惑が上手に描かれていた。

この2人、顔は同じ(小説では「似ている」ということらしいが)だが、一方は若き日の『あまちゃん』に片思いする大吉みたいな好人物、他方はテレビ版の『散歩する侵略者』みたいな得体の知れない男である(この喩えを、僕は映画を見ながら思いついたのだが、帰ってきてパンフを読んだら、あながち的外れではなかったということが分かった)。

出会う順番が逆であれば、こんなことにはならなかったろう。最初に亮平に会い、亮平がいなくなってから麦に出会っても朝子の心はそれほど揺れなかったろう。だが、謎に満ちているが故に惹かれてしまった麦を一瞬にして失った後で、朝子は優しい亮平を知ったのである。

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