ボールから目を離すな!
【8月2日 記】 小学校の多分1年ぐらいの時に野球の打ち方を習った時も、会社に入ってからゴルフのスウィングを教わった時も、「ボールから目を離すな」と言われた。
体がほぼ静止した状態で、飛んでくるボールを待つ野球と、逆に静止しているボールに対して自分の体を動かしてクラブに当てるゴルフという違いはあれど、いずれにしてもボールから目が離れてしまうとちゃんと当たらないことが多いのだ。
それはバットやクラブやラケットで球を叩く野球やゴルフやテニスであっても、足や頭でボールを操るサッカーであっても、あるいは直接手でボールを受けたり投げたりする他のスポーツであっても同じではないだろうか。
なんであれ、自分と対象物の距離と位置関係が刻々と変化している状況では、その対象物から目を離してはいけない。よそ見をしていては巧くプレーできなくて当たり前だ。
ところが、駅の自動改札では、よそ見をしていて IC定期券を改札口のセンサーにきっちり当て損なって、フラッパーゲートが閉まってピコンピコンと鳴り、仕方なくゲートの入り口に戻ってタッチし直している人をよく見かける。何故だか分からないが、女の人に多い。
「ボールから目を離すな」だよ、と僕は思う。この場合は「IC定期券から」、いや「自動改札のセンサー部分から目を離すな」だろうか。
そんな基本的なことが分かっていないとは考えにくい。どうして彼ら彼女らはセンサーから目を離していい加減に定期券をかざすのだろう? そうすることに何のメリットがあるのだろう? その瞬間に見ていなければならないものが他にあるとも思えない。なのに、どうしてわざわざ手許を見ずにいい加減に定期券を出すのだろう?
他人に迷惑をかけるとか、そういう観点から憤慨しているというのではない。他人にどうこうより、不利益を被るのは自分である。
戻るために確実に時間はロスする。ゲートの中から一旦入り口に戻るのだが、都会の場合は常に入り口には次の人が到達しているので、その流れを妨げることになるし、その人の存在によってやり直しに余計な時間がかかってしまう。
その結果、次の乗降客にも迷惑をかけることになるのだが、そこでその人に睨まれたりすることも含めて、面倒くさいし、人によっては格好悪いと思う人もいるだろうし、なにしろ一番大きな不利益を被るのは自分なのである(次の客はちょっと嫌な思いはするけど、うまく行けば隣のゲートに移るだけで、時間的ロスは大したことはない)。
手許を見ながら定期券を出すことは難しいことではない。なのに、あえて不利益を被る危険性を犯しながら、やれば簡単にできる手順を疎かにしながら、彼ら、彼女らは一体何を求めているのだろう。
「ボールから目を離す」ことに一体どんなメリットがあるのだろうか? あるいは、ボールから目を離さざるを得ないほど何か精神的に追い込まれたりしているということなのだろうか?
そのことがもう何ヶ月も、いや、もう何年も不思議でならない。
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