twitter の変成
【7月12日 記】 iPhone の日本発売からちょうど10年経った昨日、博報堂DYメディアパートナーズ メディア環境研究所の「メディア生活フォーラム2018」を聴講してきました。
今回のキーワードは「情報引き寄せ」で、情報が溢れてカオス状態になってしまった今、生活者はもはや“都度検索”などせずに、情報を“引き寄せる”ようになったと言うのです。
スマホ・ネイティブ世代の新しい情報行動は2つあって、ひとつは「とりあえず“ためる”」、もうひとつは「自然に“たまるようにする”」とのこと。
その中で一番驚いたのは、twitter で気になるつぶやきを見つけたら、保存のためにリツートをするという人がいることでした。
僕らが twitter を始めた2009年ごろのリツイートは「自分はこんなに共感した。これをみんなに伝えて共有しよう」というものでした。でも、今の若いユーザは単に自分のメモとして使っているのだそうです。
“他社への共感”から“自分の有益”に。──ソーシャル・メディアはもはや僕らオールド・ユーザが知っているようなコミュニケーションのツールではなく、個人のための便利ツールなっていたのです。
そして彼らは Netflix や Amazon の 「アルゴリズムに任せて」(と、インタビューを受けた若い男性は表現していた)レコメンドされたものを順番に観ているだけで「事足りている」と言いました。
別の若い女性は、「次に何を観るかいちいち探したくない。迷わず観たいから」「次に見るものがなくなるのはプレッシャー」と言っていました。
それも個人的にはよく解りません。僕は次にやるべきことが控えている状態が大嫌いで、「ああ、今日は何もすることがない。何をしようか」と思う幸せを得るために生きているようなものです。
僕が twitter を始めたとき、間違いなくそれは自分のための何かではなくコミュニケーションのための新兵器でした。
そして知らない人と絡むのが面白くて面白くて、睡眠時間を削ってタイムライン上の入り乱れたチャットに興じ、それが1週間も続くと、「あんた、おもろいな。1回会おか」ということになって、少なく見積もっても 50人以上の人と知り合いになりました。
人と繋がるために使っていたのです。
そして、自分と考え方や感じ方が合う新しい仲間をタイムライン上に探し、また自分を見つけてもらうために適度に偏って、個性を主張するように心がけました。
それは全て他の人と繋がるための心がけでした。
でも、もう多分そんな心構えで twitter をやっていても、ちっとも響かないんでしょうね。僕のツイートはためられる情報か捨てられる情報かのいずれかで、背後にいる僕の存在は関係がないのです。
この後セミナーは、では、そういう生活者を捕まえるためには企業の側はどうすれば良いかというテーマで終わりましたが、その内容はここには書きません。
ただ、twitter がいつのまにかそんな風に変成していたのだということを知って、少しくショックを受けたのでした。なるほど僕のフォロワー数も右肩下がりに転ずるはずです(笑)
Comments