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Tuesday, June 19, 2018

映画『犬ヶ島』

【6月19日 記】 映画『犬ヶ島』を観てきた。何なんですかね、これ? 一体何なんだろ? こんなもの作って何になる?と言うか、監督は何がやりたくてこんなものを作ったんだろう?

いや、面白くないと言ってるんじゃないんです。それどころか面白いのなんの!

監督はアメリカ人である。舞台は日本である。出てくるのは日本人と犬である。日本人は日本語で、犬は英語で話し、ナレーションは英語である。

で、実写ではなくストップモーション・アニメである。少しコマ数を落としてわざとカクカクした動きにしてある。そして、その人形の背後のセットの細かいこと! 犬と人間の動きの面白いこと!

この訳の分からないものにこれだけの情熱と労力を注ぎ込むウェス・アンダーソン監督の真意が解らない(笑)

僕が邦画優先で観ているということもあって、今までウェス・アンダーソン監督の作品は一度も見たことがなかった。ただ、『ザ・ロイヤルテネンバウムズ』『ダージリン急行』『グランド・ブダペスト・ホテル』はいずれも一度はリストアップしながら見逃した作品である。

そういう意味ではずっと気になる存在であったわけだ(ただし、その3本が同じ監督によるものだという認識はなかったがw)。

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Monday, June 18, 2018

music baton

【6月18日 記】 6/10 の記事に書いた music baton:「 #10CD10DAYS 人生で影響を受け何度も聴いた一枚」。結局誰にもバトンは渡さなかったが、自分の分は先週無事に書き終えた。

ただし、10枚だけ選ぶというのはどうしても無理で、10枚選んだ後で「次点」を9枚選ぶという反則技を使ってようやく書き終えた。

前にも書いたように、facebook と同じ記事をブログに上げても仕方がないので、ちょっと違う形でここにも上げておきたい。

facebook のときはジャケ写をアップするだけで説明は一切なしというのがルールだった。僕は毎日1枚の写真を上げて、11日目に「次点」9枚を1枚の写真に合成して(つまり、3✕3の碁盤)それを上げた。

ジャケットには帯がついているものもあればそうでないものもあり、そうでないものの中にはジャケットにタイトルが書いてなくて、知らない人には誰の何というアルバムなのか分からないものもある。

それで、ここには逆に、写真なしでアルバム・タイトルとアーティスト名のみ列記する。同様に説明文はなしとする。以下がそのリストである:

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Sunday, June 17, 2018

映画『羊と鋼の森』

【6月17日 記】 映画『羊と鋼の森』を観てきた。

原作は、読んでいると音楽に触れられる小説だった。

恩田陸の直木賞受賞作『蜜蜂と遠雷』と、宮下奈都のこの小説、本屋大賞受賞作『羊と鋼の森』は、片方はピアニストを、もう片方は調律師を(いや、場合によってはピアノという楽器そのものを)描きながら、ともに聞こえない音を行間から感じさせる名作だった。

ところが、これを映像化するとなると、かなり難しくなる。

出版物の場合は音が聞こえないからこそ文字を連ねて読者に音を届けることができたが、映画の場合は物理的に聞こえてしまうのである。役者がどう演じ、カメラがそれをどう捉えても、鳴っている音がそれらをかき分けて前面に出てしまう。

その音をどう作るか?

たとえプロ並みの良い耳を持った少数の観客を唸らせても、凡庸な耳の凡百の観客に音の違いを伝えることができなければ、それは失敗である。だから、必然的に音を伝える手法は比喩的なものにならざるを得ないのである。

そんな心配をしながら観に行ったのだが、そういう意味ではこの映画は成功である。

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Saturday, June 16, 2018

映画『万引き家族』

【6月16日 記】 映画『万引き家族』を観てきた。

最初に書いておくと、良い映画だったとは思うのだが、期待が大きすぎたのか、正直それほどでもなかった、という感じ。『空気人形』や『歩いても 歩いても』や『海街diary』を観た時のような衝撃はなかったと言える。

そもそも僕にとって是枝裕和監督のベストは『誰も知らない』でも『そして父になる』でも『海よりもまだ深く』でも『三度目の殺人』でもなく上の3本だから、僕の感性がみんなと違うのかもしれない。

ちなみに妻も「『誰も知らない』に似ていたけど『誰も知らない』ほどの衝撃はなかった」と言っている。ま、変わり者夫婦なのだろう(笑)

エンドロールを見て驚いたのは撮影監督が近藤龍人だったこと。この組合せは初めてだろう。すごい組合せではないか。だから、今までと少し違う感じがしたのかな?

そして、パンフを読むと、最初は絵コンテを書いていた是枝監督が、途中から全てを近藤に任せたと言う。すごい話だ。

終盤の警察の取調室での安藤サクラとリリー・フランキーの、ずっと正面からのアップで、ノンストップで彼らに喋らせた画は圧巻だった。そして、役者たちもそのプレッシャーに応える見事な演技だった(恐らくアドリブ的な部分もあったのだろう)。

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Thursday, June 14, 2018

舞台挨拶あれこれ

【6月14日 記】 先日、映画『榎田貿易堂』の舞台挨拶を見て、自分はこれまでに一体何回ぐらい舞台挨拶を見たのだろうか、と思った。

僕の場合は仕事上の、とは言わないが、仕事絡みの(つまり、ウチの会社が製作に出資しているか、あるいは出資はしていないが試写会の開催を請け負った)完成披露試写会などに行く機会があるので、一般の人よりは多いと思う。

でも、多いと言っても生涯で100本には届いていないと思う。多分2桁の下のほうだろう。

記録好きで、人生のほぼ全期間にわたる鑑賞記録をつけている僕だが、残念ながらその回に舞台挨拶があったかどうかまでは記録していない。

ただ、このブログに載せたりしている映画評/鑑賞記録で舞台挨拶について触れている記事もあるし、何も見なくてもある程度記憶に残っている印象的な舞台挨拶もある。そういうのを少しかき集めてみた。

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Tuesday, June 12, 2018

ぼくを見かけませんでしたか

【6月12日 記】 人が死ぬのを喜んではいけない。だけど、好きだった歌手が亡くなるといつも、新たにベスト盤が編まれたり、廃盤が復刻したりしないかな、と思ってしまう。

今日の報道で森田童子が亡くなっていたことを知った。僕が知ったのが今日だったというのではない。そもそも記事自体が「亡くなっていたことが分かった」というものだった。

人は失敗に打ちひしがれたりして極度に気分が落ち込んだとき、明るい曲よりもむしろ暗い曲を聴いたほうが立ち直りが早いものである。無理に明るい曲を聴くと空々しい気分になるだけなのである。

むしろ、徹底的に深く沈み込める曲を聴いたほうが良い。水死体は一旦底に沈まないと浮き上がって来ないと言うではないか(本当なのかどうかは知らないが)。

だから、落ち込んだときは中島みゆきを聴け、それでもダメなら山崎ハコを聴け、それでもまだダメだったら森田童子を聴け──若かった頃そんな話をしていた記憶がある。

そう、それは 1970年代後半である。訃報記事に判で押したように書いてある「『ぼくたちの失敗』が TBSドラマ『高校教師』の主題歌に使われ」というのは、僕らにとってはリバイバルでしかない。

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Sunday, June 10, 2018

music baton

【6月10日 記】 変な話だけれど、facebook でバトンが回ってきて急に思い出した──ああ、バトンってあったなあ、と。

あれは何だったろう? twitter? それとももっと古い時代のメーリング・リストとかの時代?

何かテーマがあって、それに沿って何か書く(つぶやく?)。で、そのバトンを誰かに引き継ぐ。──そんな形だったろうか。

facebook の「友達」(女性)が書いているのを見つけた。テーマは「人生で影響を受け何度も聴いた一枚」。 #10CD10DAYS ( #10CDs10DAYS と複数形になっていないのがちょっと気持ち悪いが)というハッシュタグがついていて、10枚の CD を10日連続でアップするのがルール。ただし、カバー写真だけで説明は書かない。

この最後のルールが良い。音楽を語るとき我々はついつい御託を並べてしまうのだが、それを禁止することで余計なケレン味がなくなる。

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Saturday, June 09, 2018

映画『榎田貿易堂』

Photo

【6月9日 記】 映画『榎田貿易堂』を観てきた。『万引き家族』も『羊と鋼の森』も始まったが、まずはこの映画である。『放郷物語』以来ほとんどの映画とたくさんのテレビドラマシリーズを観て、敬愛してやまない飯塚健監督の作品。

今回は公開初日の舞台挨拶もあった。僕が観た本日2回目の舞台挨拶はメディア抜きの完全一般客向け舞台挨拶で、拡散のための写真撮影も許された。

前の席のバカ野郎がスマホを高く掲げて邪魔をするので良い写真が撮れなかったが一応上げておく。舞台下手(左)から飯塚健監督、三浦俊輔、伊藤沙莉、渋川清彦、森岡龍、滝藤賢一、余貴美子、片岡礼子、キンタカオ。

主演は中央の渋川清彦である。この芸名は出身地の群馬県渋川市にちなんだのだそうで、飯塚健監督も同郷、しかも、同じ高校を卒業しており、その縁で何か映画を作ろうということになったのだそうだ。

漫画原作全盛の時代にたくさんのオリジナル作品を撮ってきた飯塚監督が渋川の主演を念頭に練りに練ったのがこの脚本である。今までの作品で言うと『REPLAY & DESTROY』の線かな。

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Wednesday, June 06, 2018

『月の満ち欠け』佐藤正午(書評)

【6月6日 記】 佐藤正午は、それほど多く読んではいないが、好きな作家の一人だ。この小説も、直木賞を獲る前から気になっていたのだが、近年僕は紙の本を読まないので、Kindle版が出るのを待っていたら、こんなに遅れてしまった。

登場人物と時代が錯綜するので、読んでいてこんがらがってくる小説である(僕のように物覚えの悪い読者は、冗談抜きで、メモを取りながら読むべきなのかもしれない)。

読み始めて最初に出てくる小山内という初老の男が主人公かと思ったら、そうではなくて、高田馬場のビデオショップに務める三角という学生の恋愛物語かと思ったら、そうでもなくて、なにやら不思議な話のようだ。

ひとことで言ってしまうと、前世の記憶を持って何度も生まれ変わる女性の話。前世どころか、その前の世もそのまた前の世の記憶も全部ある。そして、彼女が早逝した場合は、同じ男性の前に違う女性となって何度も立ち現れることになる。

その辺りの謎が少しずつ語られるために、読者はもう途中でやめることはできなくなり、いや、それどころか、その先が知りたくて更にスピードを上げて読み続けることになる。

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Sunday, June 03, 2018

【6月3日 記】 「神対応」ということばが気持ち悪い。

そもそもここ10年くらいの間に「神」が随分安売りされるようになった気がする。家出少女が自分を泊めてくれる男が現れるのを待つことを「神待ち」と言ったりするのもそれ。「神ってる」という動詞もそれ。

ただし、物事を誇張する際に神が持ち出される、神になぞらえられるのは昔からあったことではある。

例えば「神業」。でも、これは軽々しくは使われなかった。とてもじゃないが人間にはできそうにないような“わざ”に触れて驚嘆したときに思わず口をついて出てくることばだった。

例えば「神の手」。これは指圧などの施術師や考古学の発掘調査をしている人などへの賛辞だが、決してその人たち自身が神だとは言っていない。あくまで手だけが神で、頭や体の他の部分は人間なのである。人間が人間の手で信じられないようなことをするので、手だけは神なのではないかと言ったのである。

例えば「神通力」。これもその力を発揮した人が神だと言うのではない。人間なのにまるで神に通じるような力なのである。

じゃあ、「神対応」という表現は対応した人間のことを神だと言っているのかと言うと、必ずしもそうではないかもしれない。単に「神のような対応だ」と言うにすぎない。ただ、軽々しすぎる、安すぎるという印象はある。

仮にも相手は神だぞ。

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