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Sunday, May 27, 2018

映画『海を駆ける』

【5月27日 記】  映画『海を駆ける』を観てきた。

深田晃司という監督は知らない人だ。そう思って調べてみたら、僕が上映していたことさえ知らなかったのに 2016年のキネ旬ベストテンの第3位にいきなり入って来て驚いた『淵に立つ』を撮った人だった。

そして、その前年には平田オリザの舞台劇を映画化した『さようなら』を監督している。ああ、その人だったのか。ならばここらで1回見ておいたほうが良いか、と思って観に行った。

不思議な映画だ。舞台はインドネシア。台詞は、もちろん日本人同士の会話は日本語だが、大半は英語とインドネシア語で、海外経験のあるディーン・フジオカや阿部純子は英語部分は大丈夫にしても、鶴田真由や大賀はさぞかし大変だったろうなと思う。

冒頭、青インクを流し込んだのではないかと思うほど青い海。そして、同じく茶色のインクで染めたのではないかと思うほど色鮮やかな砂浜。NIKKATSU などのスーパーが出て、気づいたら沖のほう、波の間に間に黒い頭が見える。

それが岸に近づいてきて、やがて足がついたと見えて立ち上がり、フラフラと浜を歩き始めてドテッと倒れる。これがディーン・フジオカが演じる正体不明の男である。

カメラは倒れた男を点景に切り取る。ものすごい上空から、海岸線を縦に配して。

ラストシーンの沖から陸を目指して泳ぐ4人の引き画もすごくきれいだと思ったら、カメラは芦澤明子だった。これまで彼女の作品を 15本見ているが、とても力量のある人だと思う。

“海から来た男”は意識を取り戻しても遠くを見るようにして何も語らない。記憶喪失ではないかと思われる。

どうやら日本人らしいということで、現地で NPO の活動をしている貴子(鶴田真由)が呼ばれる。記憶が戻るまでという約束で、結局貴子がその男を自宅に連れ帰る。名前が分からないのでとりあえずインドネシア語で「海」の意味のラウと名付ける。

貴子はインドネシア人との間に生まれた息子タカシ(太賀)と同居している。彼はカメラを趣味にする大学生で、インドネシア国籍を取得してインドネシアに骨を埋めるつもりである。そこに貴子の姪の女子大生・サチコ(阿部純子)が日本からやってきて、貴子の家に泊まる。

貴子の仕事を時々手伝っているイルマ(セカール・サリ)は2004年の津波で家を失い、その影響もあって大学には勧めなかったが、いまだにジャーナリストを目指して勉強したり投稿したりしている。タカシの同級生であるクリス(アディパティ・ドルケン)はイルマの幼馴染で、ムービーカメラマンとしてイルマによく同行している。

そして、得体の知れないラウは、次第に人間離れした能力を見せ始める…。

そんな話だ。

舞台となっているパンダ・アチェは民族対立から30年続いた内戦と、2004年のインド洋地震の大津波で知られているのだそうだ。

その2つの歴史的事実による住民たちの痛みが映画の随所に散りばめられている。だが、事前知識のない者にとっては、映画だけを見てそれらを理解するのは少し難しい。

だから、ともすればこれは「一風変わったファンタジー」で終わってしまう可能性がある。そもそもラウは何者だったのかということが結局分からないままなので、「なんじゃそりゃ」と思った観客もいるのではないだろうか。

だから、日本人の客に見せるためには、筋の上でもう少しあからさまな何かが必要だったのではないかという気はする。

しかし、画がきれいなこともあるし、この「逃げ足が速い」とでも言うべき展開のうまさもあって、余韻はなかなかたっぷりで、禍福の差とは何かを考えさせてくれる映画だった。

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