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Friday, May 04, 2018

映画『ラプラスの魔女』

【5月4日 記】  映画『ラプラスの魔女』を観てきた。三池崇史監督。

最初に言っておくと、あからさまなネタバレを書く気はないのだけれど、これからご覧になる方は先にこれをお読みにならないほうが良いと思う。

僕はこの作品の設定に最後まで乗れなかった。

  • 条件さえ整えば、気象を含む全ての物理的現象は予測がつく
  • それを予測することのできる脳を人の手によって作ることができる

という2つのことを前提として物語を組み立てているのだが、僕にはそれが荒唐無稽と思われて、ちょっとついて行けなかった。

人間の知覚器官は見落としや聞き逃しをするし、脳は勘違いをする。そして、それよりも何よりも、人間の脳の最大の欠陥は処理能力が遅いということだ。つまり、何を言いたいかと言うと、この物語はスーパー・コンピュータを噛ませないと成立しないと思う、ということだ。

自動車に AI を載せて自動運転を導入しようとするのは、単にコンピュータにも順路と状況を見極められるようになったからではなく、ひとえにコンピュータは処理能力が速いということが一番大きな決め手である。

突然眼の前に障害物が現れたときに人の運転では避け切れない状況でも、コンピュータの判断と処理の速度があるからこそ事故にならずに済むのである。

映画に戻ると、ここまで完璧に自然現象を予測するためには人間の判断能力と計算速度では如何にも無理があり、この物語を少しでももっともらしく成立させるためには、新たな登場人物としてとてつもないコンピュータとその専門家を置く必要があるのではないかということだ。

原作は東野圭吾の小説だ。僕は1、2作読んでもう二度と読まない作家なので原作を当たる気はないのだが、文章にすればもう少し不自然さをカモフラージュしながら読者を結末まで引っ張り込めたのかもしれない。でも、それを映像にしてしまうとちと辛い。

ただ、設定は辛いのだけれど、カメラも役者もちっとも悪くない。

青江(櫻井翔)が年下の円華(広瀬すず)にです・ます調で話し、円華のほうは溜め口という辺りの細かい人物措定はうまく機能していた。櫻井が演ずるのであれば、青江は教授ではなく助教で良かったのかもしれないけれど。

パンフの三池監督のインタビューを読んでも、青江と甘粕(豊川悦司)の違いは文系と理系のアプローチの違いみたいなものだ、などとなるほどと思うことが満載で、三池監督が如何にいろんなことを考えて撮っているかがよく分かるし、共感できる部分も非常に多い。

でも、筋運びはところどころ綻びがあるし、それが設定の無理やりさと結びついてしまっているし、刑事にしても医者にしても職業上の秘密をペラペラ喋りすぎるという、これまた設定上のまずさが引っかかって仕方がない。

なんかちょっと残念。この映画、実は三池崇史監督じゃないんだよと言われてもうっかり信じてしまいそうな感じ。三池崇史が幅を広げつつあるのか、それとも三池崇史が三池崇史らしさを発揮できなかったのか。

うーん、いずれにしても、これ以上はやりきれんかったのかな。

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