『ドーン』平野啓一郎(書評)
【5月21日 記】 平野啓一郎は確かデビュー作にして芥川賞を受賞した『日蝕』を読んだと思う。例によってどんな話だったのかまるで憶えていないのだが、如何にも若気の至り、と言うか、若者にありがちな衒学的な、絢爛たる文体だったのは憶えている。
そこに若い頃の自分を映したような近親憎悪めいたものを感じたので、嫌気が差してそれ以来読んでいない。
今回20年ぶりに読んでみて、あれ、この作家ってこんな作家だっけ?という印象が非常に強かった。
まず、これは SF ではないか? SF を書く人だったの?
宇宙船ドーンで人類初の火星探査に成功して帰還した宇宙飛行士・佐野明日人の物語である。舞台は2036年のアメリカなのだが、この時代の設定が非常に巧みである。
そこには NASA もあり(同じように日本には JAXA があり)、米軍は東アフリカの戦争に介入しており、共和党と民主党の候補が大統領選を争っている、というような設定は現代のものをそのまま延長している。
一方で、この時代には AR の技術が発達し、誰でも閲覧できる街の監視カメラ網があり、自由に顔を変化させる可塑整形手術なるものが開発されている。
対人関係ごとにいろいろな人格を使い分ける分人主義(dividualism)が人々の一般的な生き方になり、誰もが加筆修正できるウィキペディアの小説版であるウィキノベルが流行し、国土を持たないネット国家“プラネット”の国籍を持つ人々がいる。
──等々、もっともらしく作り上げられているだけではなく、それら一つひとつの設定が機能的に絡み合って、ストーリーを見事に駆動して行く。
夫が帰還してから心がすれ違い始める夫婦の名前が明日人と今日子、そして幼くして死んだ息子の名前が太陽というのも、非常に巧妙なネーミングである。
それに大統領選挙を巡る2大政党の討論内容なども両党の特徴をよく把握していて、読んでいて面白い(ただ、明らかに民主党寄りなので、この小説が英訳されたら米国人はどう感じるのだろう?と思ってしまうがw)。
宇宙船の中で6人の乗組員の間に果たして何があったのか? テロ組織“ケチャップ”がアメリカに持ち込んだ化学兵器“ニンジャ”とは何か? 亡くなった明日人の息子・太陽を AR で蘇らせたディーン・エアーズの正体は?
──など、全く読者の気を逸らすことなく、科学技術と政治と人間の心の問題をうまく絡めて話は良いテンポで進んで行く。終わり方も悪くない。
あれ? 平野啓一郎っていつの間にこんな作家になったの?というのが20年読まなかった自分の率直な感想。要するにとても面白かったのである。堪能したのである。
こんな収穫があるのであれば、読まなくなった作家を読んでみるのも良いものだと思った。
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